8月23日(日) 聖霊降臨節第13主日 礼拝順序

黙  祷
賛  美   346
主の祈り
交読詩編 詩編8篇
祈  祷
聖  書  ヘブライ人への手紙第7章20~25節
使徒信条
説  教  「永遠の祭司イエス」
賛  美   522
感謝祈祷
頌  栄(讃美歌)24
祝 祷 (コリント二13:13)

説教要旨 「永遠の祭司イエス」

 本日の聖書箇所で、皆様にしっかりと握っていただきたいのは、25節の御言葉です。「この方〔主イエス〕は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります」。主イエスは、私たちのために、絶えず、神に執り成し祈っていてくださいます。
 主イエスの祈りのお姿を、ルカによる福音書に見ることができます。主イエスは逮捕される直前、過越祭の食事の席でシモン・ペトロに「サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った」(ルカ22:31~32)と言われました。ペトロは「牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と答えましたが、主イエスは、ペトロがこの夜のうちに3度ご自分を知らないと言う、と予告され、その通りになりました。主イエスは、自分を見捨て、「知らない」と言ってしまうペトロの弱さも罪もすべてご存じで、ペトロの信仰が無くならないように祈られました。主イエスは復活し、ペトロを訪れ、彼を再び弟子として立ち上がらせてくださいました。主イエスは私たちにも「あなたのために、信仰が無くならないように祈った」と語ってくださっています。主イエスに祈られているからこそ、今、信仰を与えられ、こうして神を礼拝できるのです。主イエスの執り成しこそが確かであり、私たちを救いの完成に至らせてくれるものなのです。
 主イエスが、どういう立場で祈っていてくださるのか。24節に「変わることのない祭司職」とあります。この「変わることのない」という言葉は「滅ぼされることはない」「侵害されることはない」「過ぎ行くことはない」という意味があります。そのような祭司職に就くことができるのは、主イエス・キリストの他には誰もいません。23節にある通り「レビの系統の祭司たちの場合には、死というものがあるので、務めをいつまでも続けることができ」ませんでした。レビ人の祭司も普通の人間ですから死にます。祭司制度は世襲制で継続されました。一人の人がいつまでも祭司として生きることはあり得ませんでした。「しかし、イエスは永遠に生きている」(24節)ので「変わることのない祭司職」に就くことがおできになるのです。主イエスが永遠の祭司であるとは、神の誓いによります。「この方は、誓いによって祭司となられたのです。・・・「主はこう誓われ、その御心を変えられることはない。『あなたこそ、永遠に祭司である。』」(21節。詩編110篇4節の引用)。神の誓いは、絶対に信頼でき、永遠に有効です。
 「イエスは永遠に生きている」という御言葉から、ヘブライ人への手紙第13章8節の御言葉を思い起こします。「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です」。この直前の第13章7節に「あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい」とあります。私たちは主イエス・キリストに肉の目でお会いすることはありません。説教者を通して、神の言葉を聞き、キリストにお出会いできるのです。
 私にとって「神の言葉を語った指導者たち」の一人であった村瀬俊夫先生が8月18日に召されました。生涯の終わりまで、福音をお語りになり、主イエスに愛されている喜びを証ししておられました。村瀬先生は、主イエスに執り成されている祝福の中で生かされ、祝福の中で息を引き取られた。私たちも死にます。私たちが死を見つめることができるのは、私たちの生も死も、主イエスの執り成しの確かさによって支えられていることを信じているからです。永遠の祭司イエスに委ねて生きられるのです。