11月8日(日) 降誕前第7主日 礼拝順序

黙  祷
賛  美   113
主の祈り
交読詩編 詩編37:1~6
祈  祷
聖  書  ヘブライ人への手紙第10章26~39節
使徒信条
説  教  「信仰によって命を確保する」
賛  美   510
感謝祈祷
頌  栄(讃美歌) 27
祝 祷 (コリント二13:13)


説教要旨 「信仰によって命を確保する」

 本日与えられた聖書の箇所の前半部分は警告です。この御言葉を聞いて襟を正されることがなければ、それこそ恐ろしい。26節は「もし、わたしたちが」と始まります。ヘブライ人への手紙の著者の教会では、集まることを怠る人たちが出たようであることが25節から分かりますが、26節は、教会から出て行った人への警告ではなく、礼拝に集っている者たちへ語られています。今、礼拝をささげている私たちへの警告なのです。「もし、わたしたちが真理の知識を受けた後にも、故意に罪を犯し続けるとすれば、罪のためのいけにえは、もはや残っていません」(26節)。真理そのものであるキリストを信じて洗礼を受けながら、福音に背く罪を故意に犯し続けることは、キリストの贖いを無視することです。その人は「神の子を足げにし、自分が聖なる者とされた契約の血を汚れたものと見なし、その上、恵みの霊を侮辱する者」(29節)。神はその罪を見過ごすことはなさいません。
 人間が罪に傾く性質を持っていることは、創世記第3章で物語を通して示されています。女は、蛇の「神のようになれる」という誘惑に負けて、神が取って食べてはいけないと命じられた木の実を食べました。女にそそのかされて男も神の命令に背きました。祝福に満ちたエデンの園、何の不足もないのに人は罪を犯した。男は「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました」と、女は「蛇がだましたので、食べてしまいました」と責任転嫁をして、自分が罪を犯したことを認めようとしませんでした。そのために、神との人との関係は破れ、人と人との関係も破れてしまいました。神は人を滅ぼさず、「生きていけ」とエデンの園から送り出されました。これが、キリストを知らない人間の姿です。
 そのような私たち人間のためにキリストはおいでくださって、罪を贖い、救いとなってくださいました。私たちは赦され、新しくされ、福音に生きるようにされました。ですから、この恵みを知っていながら、そこから離れるなら滅びしかない、という警告は全くそのとおりなのです。そして警告の裏には励ましがあるのです。恵みから離れないようにしよう、という励ましです。それが、本日の聖書箇所の後半の32節以下に語られています。
 まず、「あなたがたは、光に照らされた後、苦しい大きな戦いによく耐えた初めのころのことを、思い出してください」(32節)。私たちはどこから救われたのか思い出すことは、本当に大切なことです。先週はSさんの葬儀がありました。受洗のときの証を葬儀で紹介しました。「天での妻との再会を実現していただけるようその日まで信仰を強めて待ちたいと思います」との信仰の志を与えられ、地上の生涯を終えるまで、その日を待ちながら信仰生活を全うしたSさんでした。一人ひとりに「光に照らされた」時があります。その救いの出来事を忘れないでいましょう。
 「苦しい大きな戦い」の「戦い」という言葉はスポーツの競技という意味があります。忍耐強く競争を走っていこう、と第11章へ続いていきます。私たちの信仰生活は独りではありません。「仲間」(33節)がおります。「苦しみを共に」(34節)してくれる教会の仲間です。さらに、私たちには信仰の知識が与えられています。「もっとすばらしい、いつまでも残るものを持っていると知っている」(34節)のです。耐え忍ぶことができるため「喜び」が与えられています。「神の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです」(36節)。地上で信仰をもって生きるとは、忍耐して生きるということです。主が再びおいでになる希望を持って(37節)、忍耐して生きていきます。教会は、ひるむことなく、信仰によって命を確保する者です(39節)。