11月22日(日) 降誕前第5主日 礼拝順序

黙  祷
賛  美   386
主の祈り
交読詩編 詩編27:1~6
祈  祷
聖  書  ヘブライ人への手紙第11章4~7節
使徒信条
説  教  「神に喜ばれ、神を喜ぶ信仰」
賛  美   411
感謝祈祷
頌  栄(讃美歌) 29
祝 祷 (コリント二13:13)


説教要旨 「神に喜ばれ、神を喜ぶ信仰」

 NHKこころの時代「それでも生きる 旧約聖書『コヘレトの言葉』」が今、放映されています。講師は、東京神学大学教授の小友聡先生。先日第2回目の放送がありました。小友先生は、「なんという空しさ なんという空しさ、すべては空しい」(コヘレト1:2)、新しい聖書協会共同訳では「空の空 空の空 一切は空」で、「空しさ」・「空」と訳されたヘブライ語「ヘベル」を紹介され、ご自分は「束の間」と訳す、とおっしゃっていました。この「ヘベル」と、今日の聖書の箇所の4節で登場する「アベル」のヘブライ語は同じスペル(綴り)なのです。創世記第4章にカインとアベルの兄弟の物語があります。アベルは兄カインに憎まれ、殺されました。アベルの人生は短くはかなく、まさに「ヘベル」でした。私たちの多くは創世記第4章を読むとき、カインに焦点を当て、アベルは哀れだと思いますが、ヘブライ人への手紙は、アベルの存在が私たちに信仰とは何かということを示している、と言うのです。神はアベルの信仰をご覧になり、正しい者であると証ししておられ、しかもアベルは死んだのに、死で終わらず「信仰によってまだ語っています」(4節)。これは「お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる」(創世記4:10)を根拠にしています。流された血を通してアベルの声は神に届いています。ヘブライ人への手紙第12章24節には「アベルの血よりも立派に語る注がれた血です」とあり、アベルは犠牲となり血を流したことで主イエス・キリストを指し示しており、信仰によって今なお神に執り成しているのです。これには驚きました。
 続いてエノクです。エノクは創世記第5章に登場します。創世記には「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった」(創世記5:24)と記されており、このことを根拠にして、ヘブライ人への手紙は、エノクは神に喜ばれていたからこそ、死を経験しないで天に移されたのだ、と語ります。
 だからこそ6節にこう語られてます。「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです」。アベルもエノクもその信仰によって神に喜ばれました。この言葉は第11章1節の「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」と響き合います。旧約聖書の信仰の証人たちは、見えない神を希望とし、神への信頼を貫いて生き抜きました。
 さらにノアが紹介されます。ノアの箱舟の物語(創世記6~8章)はご存知の方も多いと思います。ノアは「まだ見ていない事柄について神のお告げを受け」ました(7節)。これは、神が堕落していた世界を洪水によって裁かれることであり、ノアの家族は救うということでした。ノアにとって、目に見える世界からは、洪水を予感させるものはありませんでした。ただ神の言葉だけがこれから起こることを示していたわけです。大地に箱舟を造るとは、他の人からは、ノアの気が変になっている、と見えたかもしれません。ノアはただ神の言葉に従って箱舟を造りました。ノアの箱舟の物語の全体を読むと、ノアが正しい選択をしたことが私たちに分かります。神の約束どおりに洪水は起こり、ノアは箱舟によって裁きから救われました。
 このように信仰とは、神の約束に基づいて正しい選択をすることであり、神に従う行いを可能にする原動力です。信じた者が神の約束の実現を見るのです。「信仰によって・・・信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました」(7節)。信仰は神からいただくお恵みです。信仰によって私たちは義を受け継ぐ者とならせていただき、神に喜ばれ、神を喜ぶ信仰に立たせていただけるのです。