12月6日(日) 降誕前第3主日・アドベント第2主日 礼拝順序

黙  祷
賛  美   242(1~2節)
主の祈り
交読詩編 詩編46篇
祈  祷
聖  書  ヘブライ人への手紙第11章9~19節
使徒信条
説  教  「天の故郷を熱望して」
賛  美   579
感謝祈祷
頌  栄(讃美歌) 25
祝 祷 (コリント二13:13)


説教要旨 「天の故郷を熱望して」

 ヘブライ人への手紙第11章では、私たちのお手本として信仰によって生きる旧約聖書の信仰の証人が紹介されています。今日与えられた聖書の箇所ではアブラハムが登場します。
 聖書の民、つまり神の民の信仰の歴史は、アブラハムから始まります。アブラハムの誕生からではなく、彼が神に呼ばれ、その神の招きに彼が応えること、具体的には故郷を出ることから、信仰の民の歴史が始まりました。「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し(た)」(8節)。創世記第12章を読みますと、神の言葉に従って出発したアブラハム(アブラム)がカナン地方に入ったとき、神から「あなたの子孫にこの土地を与える」(創世記12:7)と語りかけられました。ですからヘブライ人への手紙は、「(アブラハムは)行き先も知らずに出発した」(8節)と語っているのです。9節には「信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み…」とあります。興味深いのは「他国に宿るようにして」ということです。神がはっきりと約束の地を示されたのに、アブラハムはしっかりとした家を建てることなく「幕屋に住みました」(9節)。つまり、すぐに移動できるテント(幕屋)で暮らしました。それはどうしてでしょうか。それは「アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです」(10節)。
 続いて、アブラハムの妻サラも登場します。創世記では、息子の誕生という神の御告げを信じ切れなかったアブラハムとサラの姿が描かれています(創世記第17・18章より)。しかし、ヘブライ人への手紙の著者は、息子イサクが誕生したのは、彼らの信仰によるのだと理解しています(11節)。
 アブラハムもサラも「信仰を抱いて死にました」(13節)。地上の生涯においては「約束されたものを手に入れませんでした」(13節)。しかし、「はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです」(13節)。なぜなら「彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していた」からです(16節)。さらに「神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません」(16節。ヘブライ2:11参照)。まことに慰めに満ちた言葉です。私たちは自分で自分を恥じることがあり、親や兄弟姉妹のことを恥じることがあります。創世記を読むと、アブラハムやイサクやヤコブの家族にも、いろいろな恥ずかしい出来事があることが分かります。それでも神は彼らの神であり続け、私たちの神となってくださいます。そればかりか「神は、彼らのために都を準備され」(16節)ました。それは天にある神の都。そこにこそ私たちの住まいがあるのです。
 続いて、アブラハムにとっての人生最大の試練が語られます。それは「息子イサクを献げなさい」という神の命令でした(創世記第22章より)。息子イサクを献げたら「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」(18節)という神の約束はいったいどうなるのか、と思われます。しかし「アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです」(19節)。人間の方策も考えられないほどの苦境に陥る試練を生きる術は、神の言葉に従うことです。復活の信仰については、ヘブライ人への手紙第13章20節に「永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神」とあります。この神が「御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださる」(ヘブライ13:21)のです。アブラハムの信仰に倣って生きていきます。