1月17日(日) 降誕節第4主日 礼拝順序

黙  祷
賛  美   6
主の祈り
交読詩編  詩編46篇
祈  祷
聖  書   ヘブライ人への手紙第12章25~29節
使徒信条
説  教  「揺り動かされない御国」
賛  美   523
感謝祈祷
頌  栄(讃美歌) 26
祝 祷 (コリント二13:13)

説教要旨 

 ヘブライ人への手紙は今日で第12章を終えます。ここでは、教会生活をどのように送るべきかという、勧めの言葉が続いています。今日の箇所で著者が特に伝えたいことは28節です。「このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう」。このように生き続けることができるならばよいわけです。またこの御言葉を通して自己吟味ができる。私たちの礼拝が、感謝の念を持っているか、神を畏れ敬うものになっているか、神に喜ばれるように仕えているか。教会に生きる多くの人たちは「感謝」を口にして、感謝して生きています。神を畏れ敬いながら生きることについては、29節によって知らされます。「実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火」は厳しいと思える言葉です。「焼き尽くす火」とは、神に背く罪、背く者を滅ぼす、聖なる火です。そのような聖なる神と共に生きていることをわきまえることが「神を畏れ敬いながら」生きることです。「神は何でも赦してくださると」言って、恵みを誤解して、自分のしたい放題で生きることではありません。「神に喜ばれるように仕える」。神に喜ばせてもらうことを求めてばかりいるのではなくて、私たちが御言葉に聴いて、自分を献げて生きるとき、それが神の喜びになるのです。
 この29節の御言葉と響き合う主イエスの言葉に耳を傾けたいと思います。ルカによる福音書第12章49節以下です。「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである」(ルカ12:49)と言われ、その後には「あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ」(ルカ12:51)と言っておられます。主イエスは神の国の福音を宣べ伝えられたとき、その福音を聞いて信じた人もいれば、拒んだ人もおりました。そうして人々が分けられてしまうという事実があります。しかし、主イエスによって分裂が起こったのではなく、分裂が見えるようになったということが本当なのではないか。主イエスが地上に投じられた聖なる火は、私たち人間の霊的現実を照らし出したのです。主イエスがおいでになって地上に火を投じられ、神の光に照らされて初めて、神と人との間に分裂があり、人と人との間にも分裂があり、最も強いはずの家族の絆においても分裂があることが見えるようになったのです。神と人、人間関係にある分裂によって、主イエスご自身も引き裂かれました。「わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう」(ルカ12:50)とおっしゃった「洗礼」とは十字架の苦難と死のことです。この主イエスの十字架によって、分裂を起こしていた人間の罪が贖われ、赦されて、人は神と和解し、神との間に平和に生きることができるようになり、人と人との間も平和に生きることができるようになります。
 この主イエスの言葉を心に留めながら、改めて、ヘブライ人への手紙第12章25節以下を読みます。「あなたがたは、語っている方を拒むことのないように気をつけなさい」。復活し、神の右の座におられるキリストを拒むことのないようにしましょう。「わたしはもう一度、地だけではなく天をも揺り動かそう」(26節)はハガイ書第2章6節の引用です。天において「揺り動かされないものが存続するために、揺り動かされるものが、造られたものとして取り除かれる」(27節)のです。地上でも人生において「揺り動かし」が起こりますが、すべて神の御支配の中にあります。それは揺り動かされないものが明らかになるためなのです。 ですから「このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう」(28節)。