5月16日(日) 復活節第7主日 一般礼拝順序

黙  祷
賛  美    205
主の祈り
交読詩編  詩編139:11~18
祈  祷
使徒信条
聖  書   ガラテヤの信徒への手紙第1章11~24節
説  教  「生まれる前から選ばれて」
賛  美    515
感謝祈祷
頌  栄(讃美歌) 25
祝 祷 (コリント二13:13)


説教要旨

  西川口教会では、洗礼を受けようとする人に「証」(あかし)の文章をお願いしています。第1に、神を信じる前の自分はどうであったか。第2に、どのようにしてイエス・キリストを信じるようになったか。第3に、これからキリスト者としてどのように生きるかという決意、を書いていただきます。
 今日の聖書箇所は、使徒パウロの証のようだと言えます。まず、パウロは、キリストと出会う前の自分を述べています。パウロは「徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で」(13節後半~14節前半)ありました。今、パウロはキリストに救われた者として、過去の自分を語っているわけです。教会を迫害していたまさにそのときには、パウロは自分が正しいと思い込んでいました。彼はだれよりも熱心に先祖からの伝承を守って生きていました。ですから、律法や伝承に従わない人を許すことができず、ましてや十字架で死んだイエスを救い主(キリスト)であると告げ知らせている教会をそのままにしておくわけにはいかないと思ったのでしょう。
 「しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされた」(15~16節前半)のでした。パウロは神によって救われると同時に異邦人の使徒としての召命を受けました。パウロの回心の出来事は、使徒言行録第9章1節以下をご覧ください。教会を滅ぼそうとしていたサウロ(パウロ)に、復活のキリストが出会って、招いてくださった、劇的な出来事が描かれています。しかし、パウロ自身の手紙には、使徒言行録に記されている回心の出来事は書かれていません。劇的な回心をすることが大切なのではなく(もちろん、劇的な回心を否定しているのではありません。それぞれ神の導きがあります)、その出来事が示していることが大切なのです。すなわち、神が自分に御子を示してくださった(16節)ことです。イエスは神の子であられ、神は父であられるのです。それを、パウロは、12節では「この福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされた」と述べています。福音の源泉は、人ではなく、イエス・キリストです。今、私が語っている説教の言葉も、人からではなく神によるということです。そのことをキリストが私たち一人ひとりに示してくださるのです。
 キリストが示してくださることも、私たちが計画したり、予定したりして起こることではなく、神の時に起こるのです。パウロがかつて教会を滅ぼそうとして向かって行ったとき、思いがけず、復活のキリストが出会ってくださったのです。キリストによって初めてパウロは、自分が神の教会を迫害していたこと、知らずして神の敵対者となっていたと知り、そのような自分が、キリストに赦され、受け入れられ、異邦人の伝道者とされてしまい、キリストの圧倒的な力に、パウロの存在が捉えられ、巻き込まれてしまったのです。しかも、迫害者であった自分を、神は「母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった」のでした。生まれる前から神に選ばれていたことをパウロは知ったのでした。それは私たちも同じです。
 救われて、同時に異邦人の使徒とされたパウロは、人に相談したり、エルサレム教会の使徒たちのところに行ったりせず、「アラビアに退いて」(17節)いました。異邦人に伝道したと思われます。その後、パウロは使徒ペトロ(ケファ)と主イエスの兄弟ヤコブに会い、異邦人の使徒と認められました。パウロを迫害者から伝道者とされた神の御業がほめたたえられました(24節)。