5月30日(日) 聖霊降臨節第2主日
礼拝順序

黙  祷
賛  美    58
主の祈り
交読詩編  詩編119:1~8
祈  祷
使徒信条
聖  書  出エジプト記第20章1~3節
説  教  「十戒―どう生きるのか」
賛  美    533
感謝祈祷
頌  栄(讃美歌) 27
祝 祷 (コリント二13:13)


説教要旨

  教会の信仰の基本を学ぶため、本日から原則月1回、十戒の御言葉に聞きます。神が示してくださった祝福に生きる道です。しかし「戒め」という言葉自体、日常生活では使わないかもしれません。「規則」と言い換えられるでしょうか。教会にも規則があります。企業には就業規則があり、学校には校則があり、この国には憲法があり、法律があります。規則に守られて秩序が保たれています。それは共通しますが、十戒が社会にある規則と違うのは、神が直接語りかけておられる神の言葉であることです。主なる神が「わたし」と名乗られ、一人ひとりが、また神の民全体が「あなた」と呼ばれています。「わたし」と「あなた」という関係の中で語られているとは、社会にある規則とは全く次元の違うことです。これを踏まえておきたいと思います。
 3節にある第1の戒めの直前の、2節が非常に大切です。十戒の「序文」または「前文」と呼ばれています。「わたしは主、あなたの神」と神がご自身を示しておられます。どういう神かというと「あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」。この神が戒めを授けられるのです。聖書はこのようにして神の働きから始まります。神がまず語りかけてくださる。神が導き出してくださる。教会でいえば、神が十字架にかかってくださる。神の先導、神の主導です。この神に人は招かれているのです。
 先週のペンテコステ礼拝と夕拝で久しぶりに聖餐式を行いました。夕拝に来られたある方が本当に久しぶりに聖餐に与れて、心から喜んでいました。主イエスが定められた聖餐(主の食卓)を教会は約2千年間執り行ってきました。その聖餐の源は、今日の2節の「あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した」出来事を記念する過越の食事です。エジプト脱出は紀元前1300年頃という説があります。そうすると教会は約3300年前の神の救いの出来事を記念し続けてきたことになります。この神が、主イエスを遣わされた父なる神であると、今、私たちは信じています。
 出エジプト記の流れも見ていきます。エジプトを脱出したイスラエルの民はシナイ半島を南下していき、第19章の冒頭で、シナイ山のふもとに宿営をします(出エジプト19:2)。イスラエルの指導者モーセに、神がお語りになります。「あなたたちは見た わたしがエジプト人にしたこと また、あなたたちを鷲の翼に乗せて わたしのもとに連れて来たことを」(出エジプト19:4)。主は鷲の親鳥であり、民はひな鳥。親鳥に養われ、翼に乗せられるようにして、民はエジプトから救い出されました。民はその救いを目撃し、体験したのです。神の目当てはその次です「今、もしわたしの声に聞き従い わたしの契約を守るならば あなたたちはすべての民の間にあって わたしの宝となる。・・・ あなたたちは、わたしにとって 祭司の王国、聖なる国民となる」(出エジプト19:5~6)。神は、救い出した民を宝の民とし、世界のために執り成す祭司の国とするために、契約を結ぼうとされています。モーセを通して神の言葉を聞いた民は、その言葉に従って自らを聖別しました。その民に十戒が授けられるのです。
 第1の戒め「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」(3節)は、十戒の根幹をなす言葉です。「ほかに」とは「同質のものを並べる」という意味です。ですから「あなたには、エジプトからあなたを救い出したわたしの他に並べる神があるはずがない」。つまり「わたしがいる!」という神の熱い思いが込められています。古代における他の神々とは、お守りや死霊でした。それならば現代日本でも変わりがありません。私たちは、そういうものと聖書の神を並べるはずがありません。「わたしがいる!」と力強く語られる主なる神の祝福の道を歩みます。