6月6日(日) 聖霊降臨節第3主日
礼拝順序

黙  祷
賛  美    402
主の祈り
交読詩編  詩編133篇
祈  祷
使徒信条
聖  書  ガラテヤの信徒への手紙第2章1~10節
説  教  「福音には分け隔てがない」
賛  美    543
感謝祈祷
頌  栄(讃美歌) 28
祝 祷 (コリント二13:13)


説教要旨

 使徒パウロはバルナバと共にエルサレムに行きました(1節)。これは、第1章18節の訪問以来で、14年という相当な年月が経ってからのことでした。バルナバはパウロの信仰の先輩です。教会を迫害者していたパウロに復活のキリストが出会い、パウロは回心し、キリストを宣べ伝える人となりました(使徒9章)。しかし教会の人々はパウロをすぐ信頼できませんでした。そこでバルナバが間に立って、パウロを教会の交わりの中に招き入れたのです。教会にはバルナバのような和解の働きをする人が必要です。さらに「テトスも連れて行きました」(1節)とあります。この人はパウロの弟子であり、同労者であり、ギリシア人でした(3節)。
 「エルサレムに上ったのは、啓示による」(2節)とは、神の導きによって、ということでしょう。「わたしは、自分が異邦人に宣べ伝えている福音について・・・自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました」(2節後半)。パウロは、自分の異邦人への福音宣教が、エルサレム教会の人々に認められるかどうか、案じていたと考えられます。
 どういうことかというと、例えば、西川口教会がキリストの教会として何か欠けたところがあるわけではありませんが、孤立もしていません。日本基督教団に属し、川口市内ならば川口教会もあり安行教会もありますが、それぞれキリストの教会であり、自主独立し、互いに認め合っています。あるいは埼玉県南牧師会があります。超教派で、地域の牧師たちが集まっていますが、それぞれキリストの教会として認め合っています。パウロは自分の宣教によって各地に生まれた教会が、キリストの教会と信じていたでしょうが、エルサレム教会に認められないままでは、キリストの教会としてふさわしくないと考えていたのでしょう。そうでなければ「パウロの教会」となってしまうからです。
 そのパウロにとって「わたしと同行したテトスでさえ、ギリシア人であったのに、割礼〔ユダヤ人の男子が生後数日して体に傷をつける儀式〕を受けることを強制されませんでした」(3節)とは、大きな喜びでした。今の私たちの信仰生活に割礼は関係ありませんが、当時のユダヤ人にとって割礼とは自分がユダヤ人であり神の選びの民である「しるし」でした。ですからエルサレム教会の人々が異邦人であるテトスに割礼を強制したら、パウロの異邦人への福音宣教は「無駄に走った」ことになります。けれどもそうではありませんでした。それは、キリストを信じることによってのみ救われるという福音に、エルサレム教会(ユダヤ人キリスト者の教会)も共に立っているということだからです。「彼らはわたしに与えられた恵みを認め、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました」(9節)とあります。エルサレム教会の重鎮の人たちは、パウロに働いた神の恵みを認めてくれました。パウロにとって大きな喜びでした。
 ただしパウロが喜んだのは、彼らが「おもだった人たち」だったからではありません。パウロは「この人たちがそもそもどんな人であったにせよ、それは、わたしにはどうでもよいこと」(6節)と言っているからです。パウロの喜びは「神は人を分け隔てなさいません」(6節)というところにありました。神の前には誰もが罪人であり、その罪をキリストがどこまでも赦し、罪人を分け隔てなく救ってくださることにありました。その福音に共に立っていることを確認したので、パウロは喜びました。
 最後に10節です。「貧しい人たちのことを忘れないように」です。これは、愛に生きるということです。罪と死から救われた者は、愛に生きるのです。神と隣人に仕えて生きるのです。