6月13日(日) 聖霊降臨節第4主日
礼拝順序

黙  祷
賛  美    361
主の祈り
交読詩編  詩編27篇
祈  祷
使徒信条
聖  書  ガラテヤの信徒への手紙第2章11~14節
説  教  「福音の真理に従って歩む」
賛  美    505
感謝祈祷
頌  栄(讃美歌) 29
祝 祷 (コリント二13:13)


説教要旨

 教会に生きる人は皆、福音の真理に従って歩むことを願っていると思います。しかし、それは、今日の聖書箇所や、自分たちの経験を振り返ると、易々とできることではないと思います。
 「さて、ケファ〔使徒ペトロ〕がアンティオキアに来たとき」(11節)とは、シリア州のアンティオキア教会を使徒ペトロが訪れたということです。使徒言行録第11章19節以下には、アンティオキアの町に異邦人〔ユダヤ人以外の人〕の教会が生まれた出来事が記されています。バルナバがサウロ〔後の使徒パウロ〕を連れて来て、同労の福音宣教者としたことも記されています(使徒11:25~26)。教会の外の人々が、アンティオキア教会の人々を見て「キリスト者」と呼んだとあります(使徒11:26より)。この教会は、パウロとバルナバをキプロス島などへ送り出した伝道の教会です。異邦人教会の中心となった教会なのです。
 エルサレム教会はユダヤ人の教会で、使徒ペトロはその柱の人でした。前回の説教で語ったように、パウロはエルサレム教会との連携の関係を確認しました。その関係で、使徒ペトロのアンティオキア教会の訪問となったのかもしれません。
 12節を見ると、食事のことが問題になっています。ユダヤ人は律法を守っていました。その律法の定めには、食事の規定もありました。ケファ〔使徒ペトロ〕は、ユダヤ人ですが、アンティオキア教会の異邦人キリスト者と共に食事をしていました。神は人を分け隔てなさらないのですから(ガラテヤ2:6より)。ところが、そのペトロが、エルサレム教会のヤコブから派遣された人々がアンティオキア教会に来たら、「割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだし」(12節)、「バルナバさえも」―この言葉にパウロの大きな驚きを感じます―「彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました」(13節)。教会の指導者たちが、ガラガラと崩れ、福音の真理から離れました。
 どうしてそれほど食事が問題になるのでしょう。ユダヤ人にとって異邦人との食事は、律法を犯すことになるからです。ユダヤ人キリスト者の中には、律法を守らなければ駄目だと考えている人がありました。けれどもそうだとすると、キリストの恵みだけでは十分ではないことになってしまいます。私たちに問われているのはそこです。キリストの恵みでは足りず、お金が、あるいは学歴とか能力がなければだめだと思ってはいないでしょうか。
 ある先生のお証を聞きました。「バックストン先生〔英国の宣教師。日本でまことによく伝道された〕に会うと『イエス様にお会いしたようだ』と皆が言う。その素晴らしいバックストン先生にお会いできると、とても楽しみにしていた。けれども先生の都合で会えなくなって、がっかりした。そこに『私では足りないのか』と語りかける声がありました」と。主イエスのお声を聞いて立ち帰ったというエピソードで、共感しました。
 13節の「心にもないことを行い」と「見せかけの行い」と関連するのが「偽善者」という言葉です。もとは「役者」という意味です。役者は仮面をつけて演じます。人の目を恐れて仮面をかぶって偽りの行いをする。そうすると、律法を守らなければいけないと、自分を縛り付け、他の人にも重荷を負わせるようになります。14節後半「どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか」は、そういうことです。これは福音の真理に従って歩む生き方ではありません。福音の真理とは、主イエス・キリストの十字架と復活の救いです。罪と死から解き放たれることです。人の目を恐れてかぶる仮面を脱ぎ捨てることです。解き放たれた者は、自由にされたことを喜んで、神を仰ぎ、隣人を愛して生きます。