8月29日(日) 聖霊降臨節第15主日
礼拝順序

黙  祷
賛  美    18
主の祈り
交読詩編  詩編130篇
祈  祷
使徒信条
聖  書  出エジプト記第20章8~11節
説  教  「時はだれのもの」
        〔十戒による説教・第4戒〕
賛  美    171
感謝祈祷
頌  栄(讃美歌) 28
祝 祷 (コリント二13:13)

説教要旨

 十戒の第4の戒めは「安息日を心に留め、これを聖別せよ」(出エジプト20:8)です。第1戒は「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」(同20:3)、第2戒は「あなたはいかなる像も造ってはならない」(同20:4)、第3戒は「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」(同20:7)。第1戒は根本であり、第2・3戒は「神を神とする」ことで、なお根本的なものですから、本日取り上げる第4戒めから実際的な内容になると言えるでしょう。時をどう用いるか、に関わるからです。
 手帳やカレンダーの中には、日曜日が右端になっているものがあります。日曜日は週末なのです。しかし教会にとって日曜日は週の初めの日です。以前は「聖日」と呼びました。最近は「主の日(主日)」という呼び方も定着してきました。「聖日」は十戒の第4戒の「安息日を聖別する」に由来しています。安息日は聖なる日。出エジプト記の安息日は、金曜の日没から土曜の日没までで、今も厳格なユダヤ教の人々はこのとおり安息日を守っています。教会は、キリストが復活された週の初めの日の朝を記念して、日曜日を安息日として礼拝するようになりました。
 安息日を定められた神の思いはどこにあるのでしょうか。まず安息日には「いかなる仕事もしてはならない」(10節)。自分だけではなく、家族も、働いてくれている人も、家畜も、寄留者も、仕事を休むのです。なぜなら「六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである」(11節)。天地万物を創造された神は、創造を終えられた時「極めて良かった」(創世記1:31)と言われました。神は第7の日を祝福し、造られた世界を喜び、憩われました。この神の安息に私たちを招き入れるために、主なる神は安息日を定められました。
 申命記第5章にも十戒がありまずが、安息日規定の理由が出エジプト記とは異なっています。「あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである」(申命記5:15)。安息日は、エジプトからの救いを記念するためでした。
 いずれにしても大切なのは、誰が誰に語っているのかということです。「わたしは主、あなたの神」(出エジプト20:2)と名乗られ、「あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した」(同)お方が、ご自分が救い出された民に語っておられます。私たちにとっては、救い主イエス・キリストの父なる神です。私たちの父である方が、ご自分の祝福に与らせるために「7日間のうちの1日を、私と共に過ごしてくれないか」と語っておられるのです。
 私たちの生活を思うと、これは決して容易ではありません。もっと仕事をしたい、商売をしたいという思いがあります。また、今、日曜日に働いている多くの人がおり、その恩恵を教会に生きる私たちが受けていることも忘れてはならないことです。
 第4戒も「神を神として生きる」ことですが、同時に隣人が視野に入っています。出エジプト記第23章12節には「あなたの仕事を行い、七日目には、仕事をやめねばならない。それは、あなたの牛やろばが休み、女奴隷の子や寄留者が元気を回復するためである」とあります。私が安息日の定めを生きる時、それは隣人への奉仕となるのです。神を愛することと隣人を生かすこととが一つになっています。こうして神との関わりは、隣人との関わりへと広げられます。神を愛し、神のために時を聖別する人は、隣人のためにも時を分けるという生き方へ押し出されます。時は、神のため、自分のため、隣人のためにあるのです。