5月1日(日) 復活節第3主日
礼拝順序

黙  祷
賛  美   327
主の祈り
交読詩編  詩編33:12~22
祈  祷
使徒信条
聖  書  使徒言行録第1章1~5節
説  教  「聖霊を与える約束」
賛  美   346
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 27
祝 祷 (コリント二13:13)

説教要旨

 昨年はガラテヤの信徒への手紙から説教をしましたが、この手紙の終わりには、聖霊に導かれて生きる教会の事柄がありました。そこで、次は使徒言行録から説教するように導かれました。使徒言行録には、人の思いを超えて先立って働かれる聖霊の業に、後からついていくような初代教会の姿が描かれています。主の弟子たちが神の御計画をすべて理解してからことが進むのではありません。分かりきっていない弟子たちを通して聖霊が働かれ、弟子たちは聖霊の働きに驚き圧倒されながら、キリストの証人とされていきます。この初代教会の出来事が記されている使徒言行録から、皆様と共に神の言葉を聴きたいと導かれました。
 先週は教会総会が開催され、全ての議案が承認可決され、感謝でした。教会は会議制ですから総会も大切です。けれども神の業が人間の計画通りに進むと、聖書には書いてありません。私たちの計画は神の許しのもとで「このようにさせていただきます」というばかりのものです。
 使徒言行録という聖書は、ルカによる福音書の著者(ルカと呼びます)による第2巻です。「テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました」(1~2節)。これはルカ福音書のことを指しています。ルカ福音書の冒頭にも、このテオフィロが登場し、ルカはこの人のためにイエスの出来事を書いた、とあります(ルカ1:3)。ですから使徒言行録の説教では、しばしばルカ福音書を参照することになります。
 使徒言行録は復活の主イエスが地上でしばらくの間過ごされたことから書き始められています。「イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示」(3節)されました。
 この関連で、ルカによる福音書第24章36節以下を読みます。復活の主イエスがおいでになり、「あなたがたに平和があるように」と言われましたが、弟子たちは恐れ、亡霊を見ていると思いました。主イエスは「わたしなのだよ」と言われ、手と足をお見せになりました。その手と足には十字架の釘跡があったはずです。だからこそ主イエスであると認めることができるのです。弟子たちは喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは焼き魚を取って、彼らの前で召し上がりました。何というユーモアでしょう。作家の椎名麟三さんがこの箇所を読んでいた時のことを書いておられます。「私は生きているイエスを見ていた。そのイエスは絶対に死んでいるはずのイエスである」。自分の中の必然性が崩れ落ちて、自由になった、と書いておられます。まことに、イエスの復活を信じることは難しいのです。イエスが何度も証拠をもって弟子たちに示してくださったから、イエスが生きておられると信じることができたのです。
 使徒言行録に戻ります。ルカ福音書第24章に書かれていないのは「四十日にわたって」(3節)です。聖書では「四十」は意味のある数字です。イスラエルの民の荒れ野の40年、主イエスがサタンから試みられた40日があります。しかしここでは試練の時ではなく、人間の歴史でいまだかつてなかった特別な時です。復活の主イエスが地上に滞在されたこの時を通して、地上の主イエスの歩みと、これからの教会の時が結ばれます。主イエスは「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。…あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである」(4~5節)とお命じになりました。主イエスの命じられるまま聖霊を待つこと。そこから神の業が始まります。