5月15日(日) 復活節第5主日
礼拝順序

黙  祷
賛  美   494
主の祈り
交読詩編  詩編118:1~9
祈  祷
使徒信条
聖  書  使徒言行録第1章12~26節
説  教  「心を合わせて祈る」
賛  美   502
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 29
祝 祷 (コリント二13:13)

説教要旨

 復活された主イエスは、40日にわたって弟子たちにたびたび現れ、神の国について話されたのち、天に引き上げられました。その場所は、エルサレムの近くの「オリーブ畑」と呼ばれる山でした(12節)。使徒たちは、エルサレムの都に戻ると、泊まっていた家の上の部屋に上がりました(13節)。「上の部屋」を英語でアッパー・ルームと言います。これに由来する「アパ・ルーム」という祈りの雑誌があります。この部屋は、主イエスが弟子たちと共に過越の食事をされ、主の食卓(聖餐)を定められたのと同じ部屋と考えられています。
 著者ルカは「使徒」(「遣わされた者」という意味)たちの名前を一人ずつリストアップしています。この名前を見ますと、主イエスが12人をお選びになった出来事が思い出されます。「そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。朝になると弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた」(ルカ6:12~13)。弟子たちが志願して使徒になったのではありません。使徒たちは、主イエスの徹夜の祈りによって選ばれました。彼らの大半はガリラヤの漁師たちでした。弟子たちの中には二組の兄弟がいます。ペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネです。徴税人であったマタイ(ルカ5:27以下の「レビ」)と熱心党のシモンの名もあります。当時、ローマ帝国は税金を徴収するために地元の人々を徴税人にしました。徴税人は同胞から嫌われ、排除されていました。そのような人をもイエスはお選びになり、使徒とされました。一方、「熱心党」とはローマ帝国の支配を覆すために武力もいとわないくらいの愛国主義者でした。ローマ帝国の手先のように生きている徴税人と、熱心党の人が共にいるとは考えられないのです。ただ、主イエス・キリストに招かれて、選ばれ、弟子とされるとき、そのままでは相容れない者同士が、共に生きることができるのです。使徒言行録第1章で、使徒たちの名が上げられているのは、ただ、主イエス・キリストに選ばれたからこそ、共にあることを示しているのではないでしょうか。「使徒」という務めは、今の教会にはありませんが、教会そのものが使徒の務めを負っています。キリストに選ばれたからこそ、今、私たちはここにおり、共にいるのです。
 使徒たちと共に、「婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈って」(14節)いました。ここに女性たちの姿が記されているのも、男性優位の当時のユダヤ教の価値観では考えられません。新しい共同体の姿が見えています。120人ほどの人々が、主イエス・キリストの心に心を合わせて祈り、それゆえに一つとなっていました(15節)。主の弟子の共同体は、何か活動をすることではなく、ひたすら祈って主の約束の実現を待っていました。祈ることから始まりました。
 ペトロは兄弟たちの中に立って、ユダが非業の死を遂げたことを述べ、「いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです」(21節)と語りました。これは最後の晩餐のときの主イエスの言葉に根差しています。「あなたがたは、わたしの国でわたしの食事の席に着いて飲み食いを共にし、王座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる」(ルカ22:30)。イスラエルの12部族と12使徒は重なり合っています。聖霊降臨の約束を待つ祈りの中で、使徒たちは共同体の破れを整える必要に気づいたのでしょう。そのように語ったペトロ自身も、主イエスを否定し逃げてしまった罪を深く自覚していたと思います。使徒たちから裏切りと背きが起こったことを聖書は隠さずに語っています。だれも自分を誇ることはできません。ただ主の選びと赦しによって私たちは共にいるのです。