6月5日(日) 聖霊降臨節第1主日・聖霊降臨日
ペンテコステ礼拝順序
黙 祷
賛 美 204
主の祈り
交読詩編 詩編99篇
祈 祷
使徒信条
聖 書 使徒言行録第2章1~13節
説 教 「神の業を語らせる霊」
賛 美 342
聖 餐 81
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 26
祝 祷 (コリント二13:13)
〔礼拝音声は聖餐部分をカットしています〕
説教要旨
最初の聖霊降臨の出来事です。「うらやましいな」と思いましたのは、主イエスの弟子たちが聖霊を受けて、聖霊が語らせるままに、他の国の言葉で福音を語ったことです。私は日本語しかできませんから、日本語でしか説教ができません。しかしこのとき、弟子たちは、いろいろな言葉を使う人々に福音を語りました。五旬祭のために、地中海周辺各地からエルサレムに来ていた人々は、自分たちの故郷の言葉でガリラヤの漁師たちが神の言葉を語っているのを聞かされ、驚き、戸惑いました。
「埼玉県南牧師会」という集まりがあります。川口市、戸田市、蕨市にある教会の牧師たちの集まりです。20年以上続いており、私も喜んで出席しています。毎月1回祈祷会を行っています。牧師会には韓国の宣教師の先生方がおられます。日本で地道に伝道するお姿に、いつも励まされています。牧師会では、韓国の先生方は、日本語で話し、説教されます。その日本語には韓国なまりがあります。主イエスの弟子たちの語る言葉を聞いて「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか」(7節)と人々が言ったのは、それと似て、弟子たちの言葉にガリラヤのなまりがあったのかもしれません。しかし、語られているのは「神の偉大な業」(11節)であり、福音です。
使徒言行録第2章の聖霊降臨の出来事は、創世記第11章1節以下のバベルの塔の出来事の回復という理解があります。バベルの塔の物語です。「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。東の方から移動してきた人々は…『さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう』と言った。主は…塔のあるこの町を見て、言われた。『彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。…直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。』
主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである」(創世記11:1~9)。「天」とは高い空のことではなく、神のおられるところです。「天まで届く塔のある町を建て、有名になろう」という言葉には、神の座に着こうとする人間の傲慢が潜んでいます。創世記は、神話的な表現を用いて、人の言葉が混乱し、互いに言葉が通じなくなってしまっている人間の現実を告げています。自分たちのことを考えてもよく分かるのではないでしょうか。親と子、夫と妻、きょうだい同士、教会でも、学校でも、職場でも、地域でも、互いに言葉が通じない経験はだれでもしています。国と国同士の言葉が混乱し、戦争にまで至っています。
昨日(6/4)は、鳩ヶ谷メディカルカフェの1周年記念講演会に参加しました。講演会後、少人数のグループに分かれて対話の時間がありました。がん患者の気持ち、家族の気持ちがすれ違ってしまう難しさと悲しみを聞きました。お互いを思い合っていても、言葉や思いが通じない時があります。ましてや自分の欲望に走っている人間同士の言葉が通じなくなるのは当然です。
神はそのような人間を見捨てることはなさいません。人間同士の言葉が通じ合い、思いが通じ合う回復へと招いてくださっています。人間同士の交わりの再生の始まりが、この聖霊降臨の出来事なのです。お互い使う言語は異なっていても、語られる事柄は「神の偉大な業」です。唯一の神によるただ一つの救いです。福音です。神は人間をこの救いへと招くために、聖霊を主イエスの弟子たちに注ぎ、私たちにも聖霊を注いでくださっています。