6月12日(日) 聖霊降臨節第2主日・花の日
礼拝順序

黙  祷
賛  美   343
主の祈り
交読詩編  詩編116篇
祈  祷
使徒信条
聖  書  使徒言行録第2章14~24節
説  教  「死んで死に勝ち」
賛  美   325
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 27
祝 祷 (コリント二13:13)

説教要旨

 主イエスの弟子たちが聖霊を受けて、聖霊が語らせるままに、他の国の言葉で福音を語りました。それを見聞きした人々は驚きましたが、出来事の意味は分かりませんでした。
 「すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた」(14節)。「十一人と共に立って」とは、ペトロの個人的な言葉ではなく、十二使徒を代表してペトロが語ったということです。教会の言葉です。ペトロが「わたしの言葉に耳を傾けてください」(14節)、「これから話すことを聞いてください」(22節)と言って堂々と語る姿に、私たちは驚きます。この人が、あの大祭司の屋敷の庭で、主イエスを3度否定したのと同じ人か、と。ペトロは、主イエスが約束された通り(使徒1:8)、聖霊によって力を受け、語り始めました。
 ペトロは、今起こった出来事は預言者ヨエルが語っていたことだと、説教を始めます(16節)。「神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する」(17~18節)。旧約の時代は、神に選ばれた人だけが神の霊を受けていました。しかし、終わりの時、すなわち神の救いが完成する時には、息子も娘も、若者も老人も、僕や女奴隷も、すべての人が聖霊を受け、神の証しの言葉を語り出すのです。主イエスの約束を信じ、祈りつつ聖霊を待っていた一人ひとりに、一同に、聖霊が注がれました。ですからペトロは、〔ギリシア語訳旧約聖書の〕ヨエル書を引用しつつ、「終わりの時」が今始まったのだと告げているのです。神は救いを完成させてくださいます。その究極の完成は、「主の偉大な輝かしい日が来る」(20節)ときに成し遂げられます。神が救いを完成してくださるのです。一同に聖霊が注がれた出来事によって、「終わりの時」が今や始まったと、はっきりと語ることができたのです。
 「主の偉大な輝かしい日が来る前に」は、恐るべき天変地異が起こり(20節)、「血と火と立ちこめる煙」(19節)というしるしがあります。血が流され、火で燃やされ、煙が立ち込める。まさに、今の時代も戦争が起こり、争い合う現実があります。ではどうすればいいのか。「主の名を呼び求める者は皆、救われる」(21節)。主なる神は救いの道を備えてくださいました。
 ペトロは、この「主」とはイエスである、と力強く説教を続けます。イエスの十字架の死は、神の「お定めになった計画により、あらかじめご存知のうえ」(23節)でのことでした。「しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです」(24節)。イエスは「死んで死に勝ち」、復活のいのちに、今も生きておられるのです。
 ルカ福音書第24章13節以下のエマオ途上を読みますと、主イエスの弟子たちも、すぐには十字架と復活の出来事を理解できず、混乱していた姿を見ることができます。彼らには、イエスの十字架の死は解放の望みが絶たれた絶望であり、「イエスは生きておられる」と告げられても困惑するばかりでした。その弟子たちに、復活の主イエスは「メシア〔キリスト〕が苦難を受けて栄光に入ることは、神の御計画であった」(ルカ24:26~27)と説き明かし、それを聞いて弟子たちの心は燃やされたのです(ルカ24:32)。
私たちも同じです。聖霊〔地上で働くイエスの霊〕が聖書を説き明かしてくださいます。イエスの十字架は神の救いのご計画であり、イエスは死んで死に勝ち、今も生きておられ、主の御名を呼ぶ者を救い、復活のいのちの支配へ入れてくださるのです。