6月26日(日) 聖霊降臨節第4主日
礼拝順序
黙 祷
賛 美 543
主の祈り
交読詩編 詩編12篇
祈 祷
使徒信条
聖 書 ルカによる福音書第11章1~4節
説 教 「祈りを教えてください」
〔主の祈りによる説教〕
賛 美 493
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 29
祝 祷 (コリント二13:13)
説教要旨
最近「学ぶということ」という講演をラジオで聴きました。「『学ぶ』と『勉強する』と、どこが違いますか?」と講師が問いかけ、一瞬考えました。「答えがあるのが『勉強』。勉強は答えを見つけるものです。学びには答えがありません。スキー『について』いくら知っていたとしても、本当にスキー『を』知ったことにならない。勉強は、スキー『について』知るようなものです。学びはスキー『を』知ること、実際にゲレンデに行って滑らなくてはスキーを知ることはできません」。なるほどと思いました。
これから、主の祈りによる説教を始めます。本日の説教題は聖書の言葉から取りましたが、「祈りを教えてください」であって、「祈り『について』教えてください」ではありません。主の祈りについて知識を得て勉強するのではなく、実際にこれから主の祈りを学び始めるのです。
今、私たちが礼拝のたびに、また事あるごとに祈っている主の祈りは、マタイ福音書第6章にありますが、今日の箇所にも主の祈りの原型ともいえる祈りがあります。
ルカ福音書では「祈りを教えてください」(1節)と、主イエスの弟子たちがイエスに願い出て、主イエスはその願いに応えて、弟子たちに祈りを授けくださっています。
主イエスに呼ばれ、従ってきた弟子たちは、主イエスの祈りの生活をかたわらで見てきました。彼らはユダヤの伝統に生きていましたから、祈りを知らないはずはありません。礼拝があり、律法も詩編も知っていました。しかし「イエスの祈りには、自分たちの祈りにはないものがある。先生のように祈りたい」と思ったのではないでしょうか。憧れがあったのかもしれません。
これから月に1回、主の祈りによる説教を始めますが、弟子たちの「祈りを教えてください」という願いが、私たちの心からの願いとなることを望みます。
主イエスが弟子たちの願いに応じて、すぐに祈りの言葉を教えてくださったのは、それが主イエスの御心に適うことだったからです。弟子たちのためばかりでなく、私たちのためにも与えられている祈りの言葉です。
祈りを授けられた後、イエスは一つのたとえを話しておられます(ルカ11:5~13)。真夜中に友達のところに行って、旅行中の友達のためにパンを求めるという話です。当時は、旅人をもてなすことは本当に大切なことでした。何とかして旅人をもてなすために、一所懸命に友を信頼してパンを求めれば、友は必要なものを与えてくれる。それと同じように「求めなさい。…探しなさい。…門をたたきなさい。…」(ルカ11:9)。「求める」、「探す」、「たたく」は、すべて「祈る」ことです。「あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」(13節)。神を「父よ」と呼んで、信頼しきって祈りなさい、と主イエスは語ってくださっているのです。
神を「父よ」と呼ぶとは、私たちが神の子とされるということです。使徒パウロの言葉を読みましょう。「あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです」(ローマ8:15)。ですから主の祈りは、聖霊によって祈る祈りです。主の祈りを祈ることで、私たちは聖霊と共に生きられる。「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです」(ローマ8:26)。聖霊の執り成しによって、私たちの祈りは神に届くのです。