7月3日(日) 聖霊降臨節第5主日
礼拝順序

黙  祷
賛  美   390
主の祈り
交読詩編  詩編146篇
祈  祷
使徒信条
聖  書  使徒言行録第2章37~47節
説  教  「愛の共同体・教会」
賛  美   486
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 24
祝 祷 (コリント二13:13)

説教要旨

「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」(37節)。ペトロの説教を聞いて心を打たれた人々が言いました。まず、人々が、「兄弟たち」と呼びかけたことに驚きます。ペトロや使徒たちは、ガリラヤ出身の漁師で、無学の者で、取るに足りない者たちだと、人々に思われても仕方がなかったのです(使徒2:7参照)。しかし、ペトロの説教を聞いた人々は、自分たちもペトロたちも、共に同じ神を仰ぐ兄弟同士であると認めたのでした。「わたしたちはどうしたらよいのですか」との言葉は、ペトロの説教を聞いて、「このままでは自分たちは立ち行かない」と知らされたからこそ、こう言ったのだと思います。教会は世にあって、人々に「わたしたちはどうしたらよいのですか」という思いを抱かせる存在だということでもあるでしょう。
ペトロはすぐに応えました。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます」(38節)。悔い改めなさい、すなわち、神に立ち帰りなさい。その目に見えるしるしとして、イエス・キリストの名によって洗礼を受けなさい。洗礼を受けるとは、罪を赦していただくことです。そうすると、聖霊を賜物として受けます、と、なすべきことを語りました。
「この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです」(39節)。使徒言行録はルカが書いたと言われています。ルカ福音書と使徒言行録の冒頭を読むと「テオフィロさま」に宛てて書かれたこと、ルカがイエス・キリストの福音を本当に知ってもらいたいという心からの願いが伝わります。この39節の言葉を、ルカは喜んで書いたことでしょう。ルカはユダヤ人ではなく、外国人です。「遠くにいるすべての人」の中に自分もいたのだ、このわたしも、神である主に招かれて救われたのだと、心を躍らせて書いたのではないでしょうか。
「ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった」(41節)。奇跡が起きました。三千人もの人が洗礼を受けました。五旬祭の巡礼に来ていた人々は、まさか自分がキリストの救いに与るとは予想していなかったでしょう。いまだかつて福音さえ聞いたことがなかったのですから。聖霊降臨の出来事が起こり、何が起こったのかと集まった人々が、ペトロの説教を聞いて、悔い改めて救われました。
私自身の救いの時も同じであったことを思い出しました。私は、1981年の夏、伊豆の大島で開催された中高生聖会に、大島という開催場所に惹かれて参加しました。ところが聖会の説教を聞いて、十字架の主イエス・キリストの救いを信じ、洗礼を受ける決断が与えられ、クリスマスに洗礼を受けました。
「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(41節)。ここに、教会が生きる道が示されています。いつの時代でも、どの地域にあっても、教会はここに生きていきます。「使徒の教え」とは、福音であり、説教で語られることです。「相互の交わり」については、44節以下にあります。持ち物を分かち合って、弱い人を助ける愛の共同体の姿に、具体的に表れています。それが、世の中の人々に恐れを生じさせ、好意を持たれるのです。「パンを裂くこと」は、現在では聖餐式です。いつも、どこでも教会はここに生きるのですが、コロナ対応のために聖餐を控えていることはどうなのか、改めて問われています。「祈ること」については、私たちは今月、教会アシュラムによって、祈りの生活を更新したいと願っています。