7月17日(日) 聖霊降臨節第7主日
礼拝順序

黙  祷
賛  美   472
主の祈り
交読詩編  詩編103:1~13
祈  祷
使徒信条
聖  書  使徒言行録第3章17~26節
説  教  「あなたがたは約束の子」
賛  美   445
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 26
祝 祷 (コリント二13:13)

説教要旨

 生まれつき足の不自由な人が癒され歩き回っているのを見て、驚いた人々がペトロとヨハネのところに集まってきたので、その人々に向かって、ペトロは説教を始めました(使徒3:11~12)。
 今日の聖書箇所は、ペトロの説教の後半です。
 説教の最後の言葉がとても心に響きます。「神は御自分の僕を立て、まず、あなたがたのもとに遣わしてくださったのです。それは、あなたがた一人一人を悪から離れさせ、その祝福にあずからせるためでした」(26節)。「ご自分の僕」とは主イエス・キリストです。ペトロは既にイエスを「僕イエス」(使徒3:13)と呼んで、イエスが私たちを救うために、僕として仕えてくださったと語りました。「あなたがた一人ひとりを」とあります。十把ひとからげの救いではないのです。私たち一人ひとり、誰も同じ人はなく、それぞれがかけがえのない存在です。神は「あなた」に目を留めてくださいます。あなたを神の祝福にあずからせるため、神はキリストを世に遣わされました。
 神の救い主の派遣は突然に起こったことではなく、旧約聖書に預言されていました。「モーセは言いました。『あなたがたの神である主は、あなたがたの同胞の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる。彼が語りかけることには、何でも聞き従え』」(22節)。この言葉は、申命記第18章15節の引用ですが、その直前の13・14節を読みます。「あなたは、あなたの神、主と共にあって全き者でなければならない。あなたが追い払おうとしているこれらの国々の民は、卜者や占い師に尋ねるが、あなたの神、主はあなたがそうすることをお許しにならない」(申命記18:13~14)。申命記は約束の地カナンを前にして、これから約束の地に入ろうとする神の民に語るモーセの遺言の言葉です。民が立ち向かっていく人々は占い師に尋ねるけれども、神は、神の民がそうすることをお許しになりません。なぜなら神の民は、神の恵みの支配、神の祝福に信頼して生きるからです。神に委ねるからです。神の摂理を信じるからです。
 申命記は古代の言葉ですが、現代的な響きがあります。今の日本でも占い師に尋ねる人はたくさんいます。言い換えれば運命に身を任せる生き方です。望ましいことがあれば「幸運だ」となり、思いがけないことがあれば「不運だ」とか「呪われているのではないか」と思います。一方、神の民のためには道が示されています。「あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わねばならない」(申命記18:15)。
 ペトロは、イエスこそモーセが預言していた預言者であり、モーセばかりでなく、サムエルやその後の預言者も、今の時、すなわちキリストの到来を預言していた、と語りました(24節)。次の御言葉も恵みに満ちています。「あなたがたは預言者の子孫であり、神があなたがたの先祖と結ばれた契約の子です」(25節)。あなたがたは、神の祝福の支配を語る預言者の子孫である、神の祝福を信じる者たちの子孫である、神がアブラハムと結んでくださった祝福の契約の子である、と宣言しました。
 ペトロは人々の罪を指摘します。「兄弟たち、あなたがたがあんなこと〔命への導き手である方を殺した(使徒3:15)〕をしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のため」(17節)であった、と。ところが神は、キリスト(メシア)の到来ばかりでなく、「メシアの苦しみ」も預言者によって予告しておられたのでした(18節)。イエスは復活され、天におられます(21節)。ペトロは招きます。「だから自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい」(19節)。ここに私たちの行くべき道があります。