9月18日(日) 聖霊降臨節第16主日
礼拝順序

黙  祷
賛  美    156
主の祈り
交読詩編  詩編105:1~11
祈  祷
使徒信条
聖  書  使徒言行録第6章8~第7章16節
説  教  「神の約束から始まる」
賛  美   412
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 29
祝 祷 (コリント二13:13)

説教要旨

 ステファノの物語がこうしてまとめられ、使徒言行録に記されているのは、初期の教会において大切に伝えられたからだと思われます。ステファノは、使徒言行録第6章5節で「信仰と聖霊に満ちている人」として紹介されています。彼は、仲間のやもめたちの食事の世話のために選ばれた7人の奉仕者の1人でしたが、その奉仕にとどまらず、「恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行って」いました(8節)。民衆の間に出て行って伝道していました。
 「ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる『解放された奴隷の会堂』に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論」しました(9節)。これらの人々は、外国で生まれ育ち、奴隷であったけれども解放されて、本来ユダヤ人であるから、エルサレムへ戻って来た人々でありました。「ギリシア語を話すユダヤ人」(使徒6:1)であり、ステファノもそうでした。
 かつて、アメリカ西海岸の日本語教会で宣教師として奉仕した先生の報告を聞いたことがあります。日系人や国際結婚している日本人が集う教会では、日本以上に日本の風習を大切にしています。教会の皆さんが総出で、楽しそうにお餅つきをしている動画を観たことがあります。そのようにして結びつきが強まり、アイデンティティを保ったのでしょう。
 ギリシア語を話すユダヤ人も同じように、パレスチナで生まれ育ったユダヤ人以上に、「自分たちはユダヤ人なのだ」と、熱心に伝統に固執していたのかもしれません。かつてはステファノもその中の一人であった。ところがステファノは「イエスがキリストである。イエスにしか救いはない」という福音を聞いて信じて、キリスト者になり、教会の群れに加わりました。ギリシア語を話すユダヤ人からすれば、ステファノが異なる考えを持つようになったので、「議論」になりましたが(9節)、ステファノが「知恵と“霊”とによって語るので、歯が立」ちませんでした(10節)。
 そこで、苛立ち、憤り、正当な議論の道ではなく、偽りを言い、人々をそそのかして、最高法院に訴え出ました。そこで、偽証人を立てて、ステファノが神殿を汚し、律法をないがしろにしていると偽証しました(13節)。偽証こそ十戒〔第9戒〕を犯す律法違反であるのに、偽証人がステファノを律法違反で訴えました。そこに人の罪の深さを思います。主イエスの逮捕の時と同じです。しかし、ステファノの顔が「さながら天使の顔のように見えた」(15節)というのは、このような中でも、神はステファノと共におられたということです。
 不当な逮捕でしたが、ステファノに答弁の機会が与えられ、彼は説教を始めました。今日はその途中までです。ステファノは、アブラハムから始めました。「わたしたちの父アブラハムがメソポタミアにいて、まだハランに住んでいなかったとき、栄光の神が現れ、『あなたの土地と親族を離れ、わたしが示す土地に行け』と言われました」(3節)。アブラハムに栄光の神が現われ、神の命令に従ってアブラハムは旅立ちました。モーセの律法も、ソロモン王の神殿よりも前に、アブラハムがおり、彼が神の民の父祖であることをステファノは示しました。神は「まだ子供のいなかったアブラハムに対して、『いつかその土地を所有地として与え、死後には子孫たちに相続させる』と約束なさったのです」(5節)。この神の約束から始まって、アブラハムが神に従い、古い土地を捨て、新しい地に向かうことで、神の民は始まったのです。アブラハムに与えられた祝福の約束(創世記12:3)は、主イエス・キリストによって実現しました。