10月2日(日) 聖霊降臨節第18主日
礼拝順序

黙  祷
賛  美    11
主の祈り
交読詩編  詩編133篇
祈  祷
使徒信条
聖  書  使徒言行録第7章17~43節
説  教  「神の約束の実現する時」
賛  美   376
聖  餐    81
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 25
祝 祷 (コリント二13:13)

〔礼拝音声は聖餐部分をカットしています〕

説教要旨

 ステファノは、ユダヤの最高法院の大祭司の前における裁判の場にいます。彼は旧約聖書を語り直しながら、裁く者たちと自分と、どちらが神の真理に生きているのか明らかにしようとしています。だから弁明が説教になっています。敵対者は、偽証人によって、彼が神殿と律法を冒涜していると訴えました(使徒6:13)。
 今回はステファノの弁明の続きです。神は、民をエジプトから導き出す指導者としてモーセを召し出されました。モーセがシナイ山に近い荒れ野で、燃える柴に近づくと、「主の声が聞こえました。『わたしは、あなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である』」(32節)。神はモーセに出会ってくださいました。自分を敵対視して訴える者たちを前にして、ステファノも、「わたしはあなたの神である」と主の声を信仰の耳で聞きながら、神の出来事を語っていました。
 17節に戻ります。ステファノはアブラハムに与えられた神の約束から語り始めました。アブラハムの子孫が「外国に移住し、四百年の間、奴隷にされて虐げられる。…彼らを奴隷にする国民は、わたし〔神〕が裁く。その後、彼らはその国から脱出し、この場所でわたしを礼拝する」(使徒7:6~7)。その時が近づいてきました。この約束を実現するためにモーセは神に呼ばれました。
 「モーセは、自分の手を通して神が兄弟たちを救おうとしておられることを、彼らが理解してくれると思いました。しかし、理解してくれませんでした」(25節)、「仲間を痛めつけていた男は、モーセを突き飛ばして言いました。『だれが、お前を我々の指導者や裁判官にしたのか』」(27節)。ステファノは直接語っていませんが、モーセは主イエスのひな形です。モーセは同胞の救いのために来たのですが、受け入れられませんでした。主イエスもご自分の民のところに来ましたが、その言葉は聞かれませんでした。
 モーセは主に従い「エジプトの地でも紅海でも、また四十年の間、荒れ野でも、不思議な業としるしを行って人々を導き出しました」(36節)。エジプトでの十の災いや、海の水が分かれた救いの出来事、荒れ野の旅において、神が水を出させ、マナを降らせてくださって、モーセは民を養い、導きました。
 モーセは「荒れ野の集会において、シナイ山で彼に語りかけた天使とわたしたちの先祖との間に立って、命の言葉を受け、わたしたちに伝えてくれたのです」(38節)。ステファノは、過去の出来事としてではなく、モーセが生き生きとした命の言葉としての律法を「わたしたちに」授けたと語っています。主イエスの時代、初代教会の時代には、律法は、生き生きとした命に生かす神の言葉として受け止められていませんでした。律法を守っているから救われる、守れない人は救われないと、他者を裁くものとなっていました。ステファノは、本来モーセは神の命の言葉を授けてくれたのだと語ったのです。
 「けれども、先祖たちはこの人に従おうとせず、彼を退け、エジプトをなつかしく思い、アロンに言いました。『わたしたちの先に立って導いてくれる神々を造ってください』」(39~40節)。民の姿は、罪ある人間の姿です。私たちは、金や木や石で実際に像は造らないでしょう。しかし心では、自分の願い通りの神やキリストであってほしい、願い通りのことが起こってほしいと、思っています。それは救い出してくださった神に対する背きの罪です。神の律法に生きぬくことができなかった民は、バビロンに捕囚となる裁きが預言されました(43節)。しかし、神は民を根絶やしにはなさらず、「神は、あなたがたの兄弟の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる」(37節)の約束の通り、神の子を救い主として世に遣わしてくださいました。