10月9日(日) 聖霊降臨節第19主日
礼拝順序

黙  祷
賛  美    409
主の祈り
交読詩編  詩編84篇
祈  祷
使徒信条
聖  書  使徒言行録第7章44~53節
説  教  「聖霊に逆らうことなく」
賛  美   445
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 26
祝 祷 (コリント二13:13)


説教要旨

 今回もステファノの弁明の続きです。ステファノは、ユダヤの最高法院の大祭司の前における裁判の場にいます。彼の敵対者は、偽証人によって、彼が神殿と律法を冒涜していると訴えました(使徒6:13)。前回の説教では、ステファノは旧約聖書から、本来モーセは神の命の言葉を授けたのだと語りました。
 本日の聖書箇所は、神殿についての訴えへの弁明です。この時もステファノは、神殿の根源に遡って、旧約聖書を語り直しています。まず神殿は、イスラエルの民の荒れ野の旅において神が造るようにお命じになった「証しの幕屋」を継承したものであると語りました(44節)。この幕屋は移動可能な聖所で、中には十戒が刻まれた石板を納めた主の契約の箱が置かれました。幕屋は神の臨在のしるしでした。エジプトを脱出し、約束の地カナンに向かう旅の間、幕屋は神の民と共にありました。やがて民がカナンの地に定着し、時を経て、王となったダビデは、神のために神殿を建てたいと願いましたが、神はそれをお許しにならず、ダビデの子であるソロモン王が、神殿を建てました(47節)。
 列王記上第8章には、ソロモンが、神殿に主の契約の箱を安置させ、主に祈りをささげた記事があります。「神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません。…夜も昼もこの神殿に、この所に御目を注いでください。ここはあなたが、『わたしの名をとどめる』と仰せになった所です。この所に向かって僕がささげる祈りを聞き届けてください」(列王記上8:27、29)。どんなに立派な神殿も、主なる神を納めることなどできません。ただ主が憐れんで、神殿に御目を注ぎ、御名をとどめると言ってくださるからこそ、私たちは礼拝することができ、祈ることができるのです。
 以前韓国やアメリカでの研修で、信徒数が数千人のメガチャーチの会堂を見学したことがあります。大会堂を見て「立派な建物だ」と言ってしまい、圧倒されました。主イエスは同様なことを言った弟子たちにこう語られました。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」(マルコ13:2)。やがて起こる神殿崩壊の予告でした。
 ステファノは、預言者イザヤの言葉を引用して語ります。
 「天はわたしの王座、地はわたしの足台。お前たちは、わたしに/どんな家を建ててくれると言うのか。わたしの憩う場所はどこにあるのか。これらはすべて、/わたしの手が造ったものではないか」(49~50節)。
 先ほどのソロモン王の祈りと重なります。ステファノが引用したのはイザヤ書第66章1~2節前半です。イザヤ書はこう続きます。「主は言われる。わたしが顧みるのは/苦しむ人、霊の砕かれた人/わたしの言葉におののく人」(イザヤ66:2)。イザヤ書66章3~4節には、神に対して二心を持つ民の罪の姿が示されます。神殿に犠牲を献げて礼拝をしているようでも、陰では人を打ち倒し、偶像にも礼拝を捧げている姿です。
 ステファノは、預言者イザヤのように、自分を訴える人たちに向かって語ります。「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです」(51節)。割礼を受けていたとしても、心と耳が開かれていないではないか、というのです。
 ステファノは恐れずに福音の真理の言葉を語りました。本日は神学校日です。福音の真理を語る教師が養成されて教会に遣わされること、常に福音の真理を聞く教会であることを祈ります。