10月16日(日) 聖霊降臨節第20主日
礼拝順序

黙  祷
賛  美    449
主の祈り
交読詩編  詩編24篇
祈  祷
使徒信条
聖  書  使徒言行録第7章54節~第8章3節
説  教  「神の布石」
賛  美   531
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 27
祝 祷 (コリント二13:13)


説教要旨

 今回、使徒言行録に取り組んで新しく気がついたのは、ステファノの説教は第7章53節で終わるのではなく、56節「天が開いて、人の子〔主イエス・キリスト〕が神の右に立っておられるのが見える」で完結することです。「イエスは殺され、よみがえられて、天に上げられ、神の右におられる」と、ペトロも他の弟子たちも繰り返し説教しています。今、私たちが使徒信条で告白している信仰、「主イエスは生きておられる」という信仰です。
 ここでは、人の子であり神の子である主イエス・キリストは神の右に「立っておられる」のです。ステファノの信仰の目が開かれて、イエスを仰ぐことができました。
 ステファノの言葉は、彼を敵視して訴えた人々には全く届きませんでした。福音は、聖霊によらなければ受け入れることはできないからです。私自身、子供の頃から教会学校で10年近くも福音を聞いていましたが信じられず、中学3年生の時に参加した夏のキャンプで、主イエス・キリストの十字架がこのわたしのためだとはっきりと知らされたことは、今もよく覚えています。
 ステファノは自分を訴えた人々に「あなたがたがその方〔主イエス・キリスト〕を裏切る者、殺す者となった。天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした」(使徒7:52~53)と語ったため、「人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしり」しました(54節)。さらにステファノが救い主を見たと言ったので「人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始め」ました(57~58節)。自分の耳を手でふさいで、大声で叫んだことがありますか。自分の声しか聞こえません。「ステファノの言うことなど聞くものか」という反抗です。
 人々が自分に石を投げつけている間、ステファノは祈っていました。「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」(59節)。さらに、石を投げつけられているにもかかわらず、ステファノはひざまずく姿勢をとって「『主よ、この罪を彼らに負わせないでください』と大声で」叫び、敵のために罪の赦しを祈りました(60節)。ステファノの最期の姿は、主イエスの十字架の姿に重なります。主イエスの弟子は、主が語られたように語り、主が死なれたように死にます。ステファノは聖霊に満たされていたからこそ(55節)、このように祈ることができました。
 ステファノの葬りも主イエスの葬りを思い起こさせます。名前も記されていない「信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ」(8章2節)のでした。
 「神の布石」という説教題をつけました。このステファノの出来事が将来のための備えとなったという意味を込めました。
 まず、ステファノの説教(弁明)が、やがて始まる異邦人伝道の基礎になっていることです。ステファノの説教を通して、人は律法を守らなければ、または神殿で犠牲を献げなければ救われない、という束縛から解き放たれることを知らされるのです。
 次に、ステファノの殉教と初代教会に対する迫害が起こり、恐らくギリシア語を話すユダヤ人キリスト者が各地に逃げ、散らされたことにより、かえって福音が各地に告げ知らされました(使徒8:4)。主イエスの約束「エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒1:8)が実現することになりました。
 さらに、サウロ(後のパウロ)が、ステファノの殉教のときにいたということです。ステファノの罪の赦しを願う執り成しの祈りは、サウロのためにも聞かれました。やがてサウロ(パウロ)は異邦人の使徒として福音宣教者になるのです。