11月13日(日) 降誕前第6主日
礼拝順序

黙  祷
賛  美    518
主の祈り
交読詩編  詩編51:12~19
祈  祷
使徒信条
聖  書  使徒言行録第9章1~19a節
説  教  「わたしが選んだ器」
賛  美    516
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 25
祝 祷 (コリント二13:13)


説教要旨

 後に「使徒パウロ」と呼ばれるようになった人が救われた出来事です。サウロの回心がここに記されていることを心に留めたいと思います。サウロが最初に登場するのは、ステファノが殉教する出来事です(使徒7:58)。サウロはステファノの殺害に賛成しており(使徒8:1)、その後エルサレムの教会を迫害しました(使徒8:3)。迫害を逃れるため散らされた弟子たちが、各地で「イエスが主である」と福音を告げ知らせ(使徒8:4)、信じる人々の群れが生まれました。さらに、フィリポはサマリアに伝道しました(使徒8:5以下)。こうして福音はエルサレムにとどまらず広がっていきました。エチオピアの高官の救いの出来事は異邦人の救いの先駆けでした。ですから、このサウロの救いと召命の出来事は、神が異邦人伝道を進められていく流れに位置づけられています。初代の教会が「伝道はこうしましょう」と計画して進められたのではなく、人の思い及ばない仕方で、神の御業が進められていきます。
 サウロは主の弟子たちを滅ぼそうと、大祭司の許しを得て、ダマスコへ向かっていました。「ところが…ダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らし…サウロは地に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞き」ました(3~4節)。復活の主イエスの声でした。サウロは「ナザレのイエスこそキリストである」と言う人々を憎み、殺意を抱き、滅ぼそうとしており、それを正しいと思い込んでいましたが、それは主イエスへの迫害だと知らされました。主イエスの光の中で、倒されてしまいました。主イエスの声を聞いたサウロは地面から起き上がって、目を開けましたが、何も見えなくなっていました。それで、他の人々に手を引いてもらってダマスコに行きました。主の弟子たちを滅ぼそうと意気込んでいたサウロが、主に打たれて弱くされました。「サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった」(9節)。祈っていたでしょうし(11節)、飲み食いもできないほどの衝撃を受けていたのかもしれません。
 サウロの救いのために、神はダマスコにいるアナニアを用いられました。主イエスがアナニアに呼びかけ、サウロを訪ねるようお命じになったとき、アナニアはすぐには従えませんでした。サウロが、エルサレムで主の弟子たちを滅ぼそうとし、ダマスコにもそのために来たことを知っていたからです。そのことを伝えたアナニアに、主イエスは言われました。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう」(15~16節)。教会の迫害者であるサウロが伝道者とされるとは、人には考えられないことです。しかし、神はサウロをお選びになったのです。
 アナニアは、主に従順でした。主の言葉どおりにサウロを訪ね、手を置いて、こう言いました。「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです」(17節)。「兄弟サウル」と呼びかけた言葉に、アナニアの信仰を見る思いがします。自分たち(主の弟子たち)を迫害したサウロですが、神の前には、同じ神の子であり、兄弟であると、アナニアは信仰によってサウロを受け入れたのです。サウロの「目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるように」なりました(18節)。肉体の目だけでなく、霊の目が開かれました。サウロは洗礼を受けました。「食事をして元気を取り戻した」(19節)は主の食卓〔聖餐〕も含めてのことでしょう。サウロは主の教会の仲間に加えられました。



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