12月11日(日) 降誕前第2主日・アドベント第3主日
礼拝順序

黙  祷
賛  美    242(1~3節)
主の祈り
交読詩編  詩編32:1~7
祈  祷
使徒信条
聖  書  マタイによる福音書第6章9~12節
説  教  「赦してください」
        〔主の祈りによる説教8〕
賛  美    445
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 29
祝 祷 (コリント二13:13)


説教要旨

 主の祈りの第5の祈りです。「わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。」(12節)。「主の祈りは実に祈りにくい」とお伝えしましたが、この第5の祈りが最たるものではないかと思います。以前、ある方から「この祈りを祈れなくて立ち止まってしまう」という言葉を聞いたことがあります。また以前、礼拝に来たことがある青年が久しぶりに来られた時「人を赦せなくて…」と語られました。「あの人を赦せない…」と思ったことのない人はいないのではないでしょうか。この第5の祈りを心から祈ることは、まことに難しいことです。
 いったい、どこまで人を赦せばよいのか。そんな私たちの思いを代弁するかのように、主イエスの弟子のペトロが質問をしました。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか」(マタイ18:21)。聖書では「7」は完全数です。ペトロはその意味も込めて質問をしたと思います。主イエスはペトロにこう言われました。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」(マタイ18:22)。「もう数えるのは止めなさい」ということでしょう。
 どうしてなのでしょう。主イエスは、続けて一つのたとえ話をされました。「そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。…」(マタイ18:23以下)。この家来は、王である主君の憐れみにより1万タラントンの借金を帳消しにしていただきました。ところがこの人は、自分に100デナリオンの借金をしている仲間に出会うと「借金を返せ」と言いました。その仲間がひれ伏して「返すから」と頼んでも承知せず牢に入れてしまいました。それを見ていた他の仲間が主君にそのことを報告しました。そこで主君はその家来を呼びつけて言いました。「お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか」(マタイ18:32~33)。この王である主君は主なる神を示しています。借金は負い目であり罪です。神は、私たちの隣人からの負い目を決して小さく見てはおられません。1デナリオンは1日分の賃金ですから、100デナリオンは約3ヶ月の給料に値します。けれども、私たち人間は、神に取り返しがつかないほど大きな罪を負っていながら赦されたことを知らないで、仲間の罪を赦せずにいるのです(1デナリオンを1万円とすれば、1タラントンは6千デナリオンですから、1万タラントンは6千億円!)。
 ペトロは、主イエスの言葉とたとえ話を聞いても、すぐには分からなかったと思います。やがてエルサレムに入られた主イエスが当局に捕らえられたとき、イエスが連れていかれた大祭司の庭までは行くことができたペトロでした。しかし「主イエスを知らない」と3度言ってしまいました。「ペトロは、『鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』と言われたイエスの言葉を思い出した」(マタイ26:75)。主イエスは、ペトロが自覚していなかったペトロの罪をご存じで、すでに赦しておられました。ペトロは、私たち人間を代表しています。
 主の祈りも、このたとえ話も、語られたのが主イエスであることが大切です。イエスが十字架にかかって私たちの罪を赦してくださったからです。「主の祈り」は、主イエスが先立って祈っておられます。この祈りも、罪のない神の子が、罪人の仲間になって「わたしたちの負い目を赦してください」と祈っておられる。だからこそ、私たちも主イエスの後に続いてこの祈りを祈ります。