2月5日(日) 降誕節第7主日
礼拝順序

黙  祷
招  詞   詩編124:8
賛  美   564
主の祈り
交読詩編  詩編46篇
祈  祷
使徒信条
聖  書  使徒言行録第11章1~18節
説  教  「神を賛美する教会」
賛  美   280
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 25
祝 祷 (コリント二13:13)

説教要旨

 ローマ帝国の百人隊長コルネリウスと彼の親しい者たちの救いの出来事が、使徒言行録第10章から第11章18節まで記録されています。異邦人が教会の一員となることは、初代教会にとってたいへん大きな転換点でした。現代の教会に生きる私たちにまで及んでいます。私たちもユダヤ人ではなく異邦人だからです。「この言葉を聞いて人々は静まり、『それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ』と言って、神を賛美した」(18節)。神は異邦人をも救われ、神は神であられることを示されました。教会は神を賛美して一つになりました。
 年度末が近づき、来週は教会総会が開催されます。春の教会総会では活動計画も議題です。しかし、例えば礼拝に○○人、洗礼○○人と計画したとして、その通りになるでしょうか。救いは神がなさること。人間の手にはありません。ただ、教会は、神の救いの業のために用いられて伝道するばかりなのです。
 最後には神への賛美に導かれたこの集まりは、最初は、ペトロへの非難から始まりました。非難する者と非難されている者が、最後には神をほめたたえて終わるように、神が進められたのです。これも神の導きです。
 エルサレムにいる使徒たちとユダヤにいる兄弟たちは、異邦人も神の言葉を受け入れたことを知りましたが(1節)、それは教会の喜びにはなりませんでした。ペトロが割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をしたからです(3節)。「ペトロ、汚れた異邦人と食事をしたあなたも汚れている!」と、ペトロを非難したのです。
 「そこで、ペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた」(4節)。ペトロの弁明です。ペトロは自己保身も自己弁護もしません。ただ神の導きの出来事を語ります。一方でペトロは「ここにいる六人の兄弟も一緒に来て、わたしたちはその人の家に入った」(12節)と言っています。カイサリアに共に赴いた、ヤッファの教会の仲間です。恐らくペトロは非難されることも予測して証人として彼らと共にエルサレムに行ったのでしょう。
 さらにペトロは非難に非難で返すこともしませんでした。ペトロの口から使徒言行録第10章の出来事が語り直されますが、屋上で示された天からの幻と天からの声に対して、「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は口にしたことがありません」(8節)とペトロは答えました。「とんでもないこと!」と、今、自分を非難している人々は考えている。それは自分も思っていたことなのだ、と。非難することなどできないペトロでした。
 ペトロの思いを越えて、神の御業はどんどん進められていきました。天からの幻が去ったとき、カイサリアのコルネリウスからの使者がペトロを訪ね当てたのでした。聖霊の導きと促しによって、ペトロはカイサリアに行きました。カイサリアにはペトロを待っている人々がおりました。コルネリウスに対する神の導きを聞かされ、ペトロはイエス・キリストの福音を語りました。語っているうちに、説教を聞いている人々に聖霊が降りました。それは、最初の使徒言行録第2章の聖霊降臨の出来事のようでした。
 「こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか」(17節)。私たちに求められているのは、神の御業を妨げることのないようにすることです。
 異邦人が、律法厳守や割礼を求められることなく、イエス・キリストの福音を信じることによって救われ、教会の一員となることができる。キリストの教会の新しい時代が始まりました。