2月12日(日) 降誕節第8主日
礼拝順序

黙  祷
招  詞   詩編124:8
賛  美   459
主の祈り
交読詩編  詩編100篇
祈  祷
使徒信条
聖  書  使徒言行録第11章19~30節
説  教  「私たちはキリストの者」
賛  美   515
聖  餐   81
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 26
祝 祷 (コリント二13:13)

(礼拝音声は聖餐部分をカットしています)
説教要旨

 約20年前、聖書の旅としてトルコを旅行し、最後に訪れたのがアンティオキアでした。「ああ、ここから、アンティオキア教会がパウロとバルナバを送り出し、2人は船出したのだ」(使徒13:2~4)と地中海を眺めたことを思い出します。今、この地域に巨大地震が起こって大きな被害が出ていることに心を痛めています。
 このアンティオキアに教会が始まったのは「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々」(19節)がいたからです。神のなさることは人の思いを越えています。その人たちの中にはユダヤ人にだけ福音を語る人もいましたが、一方で「彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせ・・・主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった」のです(20~21節)。こうしてアンティオキアに、イエスをキリストと信じて生きる異邦人の群れができました。
 このことがエルサレム教会に知らされたので、教会はバルナバをアンティオキアに派遣しました。バルナバは「立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていた」人です(24節)。使徒言行録には既に登場し、自分の持ち物を売って惜しみなく献金をささげ(使徒4:36~37)、復活の主イエス・キリストに出会い回心したサウロを、初代教会の使徒たちに執り成したのもバルナバでした(使徒9:27~28)。彼は初代教会で信頼を得ておりました。さらにキプロス島出身であることもアンティオキアに派遣された理由の一つでしょう。バルナバはギリシア語を話すユダヤ人でした。
 使徒言行録を読むと、聖霊の御業がどんどん進められて、弟子たちは後からついていくばかりです。しかし教会はその都度「これは神の業である」と確認しています。教会の秩序の中で正しく受け止めていることも見落とさないようにしたい。先週まで見てきたコルネリウスたちの救いについても、使徒ペトロの証言を受けて、神は異邦人を救われた、と教会は確認しました。サウロの回心後のことについても、バルナバの執り成しによって、サウロは使徒たちから福音を語る承認を得ています。「聖霊に導かれているのだから」と言って、自分勝手に行動はしていません。
 アンティオキアにバルナバを派遣したのも、この教会の秩序によることです。アンティオキアに到着し、信じる人々に出会い、その様子を見聞きしたバルナバは、「神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧め」ました(23節)。これは神の恵みによる救いであると確認されました。バルナバが到着したことによって、更に救われる人が起されました。バルナバは、サウロをアンティオキアに連れて来て、1年間滞在し、2人で信じた者たちを養い育てました。私たちは、信じて洗礼を受けて終わり、ではありません。神に立てられた教師によって養われる必要があります。
 「アンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになった」(26節)。「キリスト者」とは「あいつら、『キリスト、キリスト』とばかり言っているから『キリストの者』だよ」と、他の人々が弟子たちを蔑んで呼んだ言葉なのです。そう呼ばれるほどに、弟子たちは喜んでキリストを証ししていました。
 聖霊に導かれたアンティオキア教会が、隣人への愛に生きる教会になったことが証しされました。ユダヤの地に飢饉が起こり、エルサレム教会の困難が知らされたとき、アンティオキア教会は「それぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決め」ました(29節)。見たことも会ったこともないエルサレム教会の人々を助ける決断をするほどに成長しました。