3月26日(日) 復活前第2主日
礼拝順序
黙 祷
招 詞 詩編124:8
賛 美 438
主の祈り
交読詩編 詩編3篇
祈 祷
使徒信条
聖 書 ルカによる福音書第23章1~25節
説 教 「主イエスの沈黙」
賛 美 444
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 26
祝 祷 (コリント二13:13)
説教要旨
ご自分に対する裁きの間、主イエスがお語りになったのは、「それは、あなたが言っていることです」という、ピラトに対するお答えだけでした(3節)。イエスの周りにいる人々は大きな声で激しく語っています。私たちは沈黙しておられる主イエスのお姿を心に思い描きます。その沈黙は何のためだったのでしょうか。
オリーブ山で捕らえられたイエスは、ユダヤ当局の最高法院で裁きを受けました。イエスを裁いた人々は、ローマ総督ピラトのもとにイエスを連れて行き、皇帝に逆らう政治犯として有罪判決を下すようにピラトに働きかけました(2節)。ピラトは、イエスに尋問し、その答えを聞いて、祭司長たちと群衆に「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」と言いました(4節)。
イエスがガリラヤの人だと知ったピラトは、エルサレムに滞在していたヘロデのもとへイエスを送ります。ヘロデはイエスがしるしを行うのを見たいと思っていろいろと尋問しましたが、イエスは何もお答えになりませんでした。ヘロデは、イエスを嘲り、侮辱し、ピラトに送り返しました。「この日、ヘロデとピラトは仲がよくなった。それまでは互いに敵対していたのである」(12節)。この言葉から、聖書は人間をよく知っていること、この二人の友情は空しい関係だと思います。
ピラトは再びイエスの無罪を宣言します(14~15節)。無罪ならば「鞭で懲らしめ」る(16節)必要はないはずですが、これは訴えている者たちの気持ちをなだめるためでしょう。しかし、ピラトの言葉も届かず、人々は一斉に、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫びました(18節)。バラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていた人でした。
ピラトは3度目にイエスの無罪を宣言します(22節)。ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続け、その声はますます強くなりました(23節)。ピラトはその要求の声に押し切られました。そこで、イエスの十字架刑の判決を下しました(24節)。
これはとても皮肉なことです。ピラトが3度も無罪を宣言したにもかかわらず、ユダヤ当局の人々と群衆は「この男は民衆を惑わし、扇動した」と訴えてイエスの死刑を求めました。それを実際に行なって投獄されたバラバの釈放を求め、イエスを十字架刑にしようとする。この矛盾には全く気がついていない人間の罪の深さが鮮やかにされます。ピラトも無力でありました。最終的には、罪のない者を罪ある者として、保身を図りました。これらの人々の姿は、他人事ではありません。
自分に対する不利な裁きが進む中、主イエスはなぜ黙り続けておられたのでしょう。イエスは弟子たちに、こう予告しておられました。「人の子〔イエスのこと〕について預言者が書いたことはみな実現する。 人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する」(ルカ 18:31~33)。預言者が書いたこと、そのひとつがイザヤ書第53章です。「わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて 主は彼に負わせられた。苦役を課せられて、かがみ込み 彼は口を開かなかった…」(イザヤ53:6~7)。この苦難の僕の預言がイエスにおいて成就しました。使徒言行録にはこう記されています。「神はすべての預言者の口を通して予告しておられたメシア〔キリスト〕の苦しみを、このようにして実現なさったのです。 だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい」(使徒3:18~19)。私たちを救うため、イエスは黙って苦しみを引き受けてくださったのです。