2023年4月16日(日) 復活節第2主日
礼拝順序

黙  祷
招  詞   詩編124:8
賛  美   543
主の祈り
交読詩編  詩編46篇
祈  祷
使徒信条
聖  書  使徒言行録第12章24~第13章12節
説  教  「聖霊による派遣」
賛  美   345
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 29
祝 祷 (コリント二13:13)

説教要旨

 先週のイースターから復活節に入りました。使徒言行録の説教を再開いたします。
 本日の聖書箇所に、シリアのアンティオキアにある教会が登場します。アンティオキア教会は、私たちの教会の原点であると言えます。異邦人のために積極的に伝道者を送り出した教会だからです。今、こうして私たちは礼拝をしていますが、この国は島国ですから、海を越えて福音を携えて来てくれる人がいなければ、決してこの国に教会は生まれませんでした。そのように伝道者を派遣した教会の歴史をさかのぼると、アンティオキア教会へ至ります。また1節を見ると、アンティオキア教会には、様々な者たちが集められていたことが分かります。「キレネ人のルキオ」は北アフリカの人です。「領主ヘロデと一緒に育ったマナエン」、イエスの時代にガリラヤの領主のヘロデ・アンティパスの宮殿に出入りしていた高貴な人です。どのように導かれたのでしょうか。シリアのアンティオキア教会の一員となったのです。これらの人々を結び合わせていたのは、ただ「イエスは主である。イエスは、約束されたキリストである」という信仰でした。
 伝道者の派遣は、アンティオキア教会の自発的な計画ではなく、主を礼拝し、断食しているときのことでした。聖霊が、バルナバとサウロを、前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるようにと命じられました(2節)。アンティオキア教会は、聖霊に従い、断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させました(3節)。「断食して」と2度出てきます。アンティオキア教会は、祈るために断食をする教会でした。私たちは断食の習慣は薄れていると思いますが、主のために、祈るために、節制することは大切なことです。「二人の上に手を置いて」とは、特別な任務のために選ばれた人に、聖霊が注がれるよう手を置いて祈ったということです。按手礼式を思い起こします。私は20年ほど前、按手礼を受けました。たくさんの先生方が置かれた手の重みに、使命の重みを感じました。按手礼を受けた教師は、次の按手礼式には手を置くことができます。按手礼式が初代教会にさかのぼることを知ったときは、気が遠くなるような思いがしました。約2千年続いている教会の営みを今も私たちは受け継いでいるのです。
 「聖霊によって送り出されたバルナバとサウロは、セレウキアに下り、そこからキプロス島に向け船出し、サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言葉を告げ知らせた」(4~5節)。キプロス島はバルナバの出身地です。キプロス島にはユダヤ人居住地があり、2人は会堂で福音を語りました。さらに旅を続けてパフォスまで行きましたら、「ユダヤ人の魔術師で…偽預言者に出会った」(6節)。ユダヤ人ならば魔術や呪術は厳禁です。しかし、この人は魔術に生き、偽りの言葉を語り、地方総督とも交際していました。しかも、総督がバルナバとサウロから神の言葉を聞こうとしたとき、魔術師は2人に対抗して、総督を信仰から遠ざけようとしました。そこでパウロ(ギリシャ名。「小さい人」という意味)は魔術師と対決しました。パウロが聖霊に満たされて、裁きの言葉を告げると、魔術師の目は見えなくなりました。自分の行いが我が身に降りかかったのではないでしょうか。他の人に真理を見えなくさせていた彼は、自分の目が見えなくなったのです。裁きの言葉を告げたパウロ自身、復活の主イエスに出会い、数日間、目が見えなくなったことがありました。ですから、魔術師に下された裁きは悔い改めへの招きであると、パウロはよく知っていたと思います。魔術や呪術は古代のことと思うかも知れませんが、宗教であっても偽りの真理が語られることがあり、現代日本でまさに今、起きています。決して昔の話ではありません。