2023年4月30日(日) 復活節第4主日
礼拝順序

黙  祷
招  詞   詩編124:8
賛  美   392
主の祈り
交読詩編  詩編16篇
祈  祷
使徒信条
聖  書  使徒言行録第13章27~41節
説  教  「神の救いを侮るな」
賛  美   430
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 25
祝 祷 (コリント二13:13)

説教要旨

 ピシディアのアンティオキアの町のユダヤ人の会堂において、安息日の礼拝で、使徒パウロが説教をしています。
 初代教会の時代には新約聖書はまだ成立していません。旧約聖書から説教をしたわけです。イエス・キリストの救いが地上に実現しましたから、旧約聖書を説く初代教会の説教は、キリストの救いの証言となり、神の約束の成就を語ります。ユダヤ人にとっては驚きでした。聞いたことがないことが語られたからです。
 神の思いと人間の思いが異なること、神の御心は必ず成ることを力強く語る聖書の言葉があります。
 「天が地を高く超えているようにわたしの道は、あなたたちの道を わたしの思いは あなたたちの思いを、高く超えている。雨も雪も、ひとたび天から降れば むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ 種蒔く人には種を与え 食べる人には糧を与える。そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ わたしが与えた使命を必ず果たす」(イザヤ55:9~11)。
 本日の使徒言行録第13章41節「『見よ、侮る者よ、驚け。滅び去れ。わたしは、お前たちの時代に一つの事を行う。人が詳しく説明しても、お前たちにはとうてい信じられない事を』」と響き合います。41節はハバクク書第1章5節の引用です。神の思いは人の思いと全く異なっており、まことに、人に容易には信じられないような出来事なのです。主イエス・キリストの救いは、そのような出来事なのです。
 パウロの説教の続きを見ていきます。「エルサレムに住む人々やその指導者たちは、イエスを認めず、また、安息日ごとに読まれる預言者の言葉を理解せず、イエスを罪に定めることによって、その言葉を実現させた…」(27節)。神の国の福音を告げ知らせたイエスを、ユダヤ当局の人々は、ねたみ、憎み、殺意を抱き、ローマ総督ピラトに死刑を要求しました。ピラトも自分の弱さに負けて、ユダヤ当局の人々に押し切られ、イエスの死刑を決定しました。「こうして、イエスについて書かれていることがすべて実現した後、人々はイエスを木から降ろし、墓に葬りました」(29節)。「木」とは十字架のことです。人々の弱さや罪がイエスを十字架の死に追いやったのですが、そのことが神の言葉を実現させたというのです。本当に、不思議なこと、驚きです。
 なぜそう言えるのでしょうか。「しかし、神はイエスを死者の中から復活させてくださった」からです(30節)。復活させられたイエスは、ガリラヤからイエスに従ってエルサレムに来た人々に、姿を現し、ご自分が生きておられることを示されました(31節)。説教を語っている使徒パウロにも、復活のイエスは現れてくださいました(使徒9章)。「神はイエスを復活させて、わたしたち子孫のためにその約束を果たしてくださったのです」(33節)。「ですから、ほかの個所にも、『あなたは、あなたの聖なる者を 朽ち果てるままにしてはおかれない』(詩編16:10の引用)と言われています」(35節)。神の心に適ったダビデ王も死んで朽ち果てました(36節)。「しかし、神が復活させたこの方(イエス)は、朽ち果てることがなかったのです」(37節)。イエスが死んで復活させられたことによって、神の救いの約束が実現したことを私たちは知り、信じることができました。「信じる者は皆、この方によって義とされるのです」(39節)。「義とされる」とは「救われる」ことです。神の救いとは、私たちと神との関係の回復です。私たちは、罪を赦され、神の子とされ、復活の希望に生かされるのです。この神の救いを侮ることがありませんように。