2023年5月28日(日) 聖霊降臨節第1主日・聖霊降臨日
ペンテコステ礼拝順序

黙  祷
招  詞   詩編124:8
賛  美   346
主の祈り
交読詩編  詩編145:1~9
祈  祷
使徒信条
聖  書  使徒言行録第15章1~11節
説  教  「聖霊の証明」
賛  美   475
聖  餐   81
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 29
祝 祷 (コリント二13:13)

    〔礼拝音声は、聖餐部分をカットしています〕

説教要旨

 パウロとバルナバが伝道の旅を終えてシリアのアンティオキア教会に戻り、「神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人(外国人)に信仰の門を開いてくださったことを報告」しました(使徒14:27)。神が働いてくださいました。
 そのアンティオキア教会に、激しい対立が生じました(2節)。ユダヤから来た人々が、異邦人キリスト者に「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」(1節)と教えたことがきっかけでした。このことをめぐって、アンティオキア教会は自分たちの判断ではなく、母なるエルサレム教会の判断を仰ぐことに決めました。思慮深いことだと思います。パウロとバルナバと数名の者がエルサレム教会に向かいました(2節)。エルサレム教会でもパウロとバルナバは「神が自分たちと共にいて行われたことを、ことごとく報告」しました(4節)。「神」が主語です。これが大事です。
 そこでも意見の対立が生じ(5節)、会議のため使徒と長老たちが招集されました(6節)。この教会会議は「エルサレム会議」あるいは「使徒会議」と呼ばれます。神の救いの根拠の核心をめぐる協議となりました。聖書の文脈から見れば、私たちも異邦人キリスト者で、割礼も律法もなじみがありません。しかし、ユダヤ人キリスト者からすれば、割礼はアブラハムの時代に遡るほど長い年月、継承されてきたものです。また、律法を守って自分を汚すことなく生きている、だから汚れた食物を食べている異邦人とは交際しないのです。それなのに、救われて神の民となった者が割礼を受けないで、律法を守らなくてもいいとは、ユダヤ人にとってあり得ないことなのです。ですから譲ることができないのです。ただし、ユダヤ人キリスト者は、異邦人がキリストによって救われたことは否定していません。異邦人キリスト者を排除しようとしているのでもありません。異邦人キリスト者に、ユダヤ人になるように求めているということです。
 議論を重ねても、変わらなかったのでしょう。議論を重ねた後、ペトロが立って言いました。「兄弟たち…神はあなたがたの間でわたしをお選びになりました」(7節)。ガリラヤの漁師だったペトロ。主イエスに呼ばれて従いました。「それは、異邦人が、わたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようになるため」(7節)と、今、ペトロは確信しています。この言葉は、使徒言行録第10章のローマの百人隊長コルネリウスとその家族・仲間の救いの出来事が背景にあります。ペトロ自身、異邦人が救われるとは全く考えていませんでした。神はペトロに3度も幻を見せて、異邦人も救われることを示されました。コルネリウスの家でペトロが福音を語っていると、人々に聖霊が降りました。それを目の当たりにしたペトロは、神が「彼らの心を信仰によって清め、わたしたちと彼らとの間に何の差別をも」なさらないことを知りました(9節)。「人の心をお見通しになる神は、わたしたちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです」(8節)。ここでも「神」が主語です。教会は、神の聖霊が与えられ、神によって受け入れられた人々の集まりです。こうして聖霊が証ししてくださっているのに、その神の御心を受け入れず、異邦人キリスト者に割礼や律法を守るように求めるならば、神を試みる罪を犯すというのです(10節)。「わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです」(11節)。
 この宣言をもって、使徒言行録からペトロの姿は消えます。ペトロの役割は、主イエスの恵みによる救いを示すことでした。それはまた、私たち教会の役割でもあります。