2023年6月25日(日) 聖霊降臨節第5主日
礼拝順序
黙 祷
招 詞 詩編124:8
賛 美 18
主の祈り
交読詩編 詩編30:1~6
祈 祷
使徒信条
聖 書 コリントの信徒への手紙一第15章1~11節
説 教 「変わらない信仰に生きる」
賛 美 452
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 27
祝 祷 (コリント二13:13)
説教要旨
今日から原則として月に一度、日本基督教団信仰告白に沿って説教を始めます。キリストの教会が大切にしてきた三つの文章があります。「使徒信条」〔何を信じるのか〕、「十戒」〔どのように生きるのか〕「主の祈り」〔何を祈るのか〕。これらを「三要文」(さんようもん)と呼んでいます。信仰生活の基本となる大切な文章です。これらを学ぶことによって信仰生活の足腰が鍛えられます。求道をしている方には洗礼の準備となります。日本基督教団信仰告白に「アーメン」(本当にそうです)と言えるなら洗礼を受けられます。私たちが属している日本基督教団の信仰告白の後半は使徒信条になっています。前半では、聖書信仰、三位一体の神、選びの信仰、教会の信仰を言い表しています。前半部分も基本的で大切なことを語っています。少しずつ理解したいと思います。
本日は、日本基督教団信仰告白の最初の文章「我らは信じかつ告白す」を心に留めて、信仰を告白して生きるとはどういうことか、使徒パウロのコリントの信徒への手紙一第15章の御言葉から受け取りたいと思います。
この手紙は、コリント教会に起こった様々な問題に、使徒パウロが心を尽くして応えている手紙です。第15章を読むと「死者の復活などない」と言っている人が教会にいたことが分かります。教会の仲間をあるべき信仰へ立ち帰らせるための言葉ですが、パウロは大きな喜びを持って書いたことが伝わってきます。「神の恵みによって今日のわたしがある」(10節)と。信仰を告白して生きるとは、このパウロの言葉に「アーメン」と言えることです。私が今の私であるのは神の救いを受けたから、と。使徒パウロは「神の教会を迫害し」ました(9節)。それは取り返しのつかないことでした。そんな自分をキリストが救い、使徒として召し出してくださり、神の恵みによって今の自分がある、と喜んでいるパウロです。教会を迫害していた時には全く思い及びなかったことでした。ある先生が「パウロは現代風に言えばテロリスト、それがエバンジェリスト(伝道者)になった」と言われました。救われるとは、神が望んでおられる自分に変えられて生きることです。
救いは、福音を聞いて受け入れることによって実現します(1節)。「どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます」(2節)。福音はどこから来たかというと、パウロのオリジナルではなく、パウロ自身も受けたものなのです。「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです」(3節前半)。福音の言葉とはキリストの出来事だからです。最も大切なこととは、「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファ〔ペトロのこと〕に現れ、その後十二人に現れたことです」(3節後半~5節)。キリストの救いの出来事は、聖書に約束されていました。キリストの十字架の死は、私たちの罪のためでした。神はキリストを死で終わらせず、よみがえらせてくださいました。その復活は、キリストが弟子たちを訪れてくださることによって明らかにされました。現在、使徒言行録の説教をしていますが、そこでも使徒ペトロやパウロが語っているのは、主イエスの十字架と復活の出来事です。そのことによって、イエスがキリストであることが示されました。「とにかく、わたしにしても彼らにしても、このように宣べ伝えているのですし、あなたがたはこのように信じたのでした」(11節)。これが、今に至るまで、約2千年間受け継がれている教会の営みです。
信仰を告白して生きるとは、キリストの救いが私の身に実現したことを喜んで生きることです。