2023年7月16日(日) 聖霊降臨節第8主日
礼拝順序

黙  祷
招  詞   詩編124:8
賛  美   153
主の祈り
交読詩編  詩編24篇
祈  祷
使徒信条
聖  書  使徒言行録第17章1~15節
説  教  「イエスという王がいる」
賛  美   412
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 24
祝 祷 (コリント二13:13)

説教要旨

 パウロとシラスとテモテの伝道チームはテサロニケに入りました。テサロニケはマケドニア州の代表的な港町で、大勢の人々が住んでいました。そこでもイエスをキリストと信じて救わる人が興されましたが、敵対者の激しい行動もありました。
 新約聖書の中で最初に書かれたのはテサロニケの信徒への手紙一です。パウロたちの伝道で始まったテサロニケの町で生まれた教会へ宛てられた手紙です。テサロニケにおいて福音がどのように届いたか、テサロニケの信徒への手紙一第2章から、使徒パウロ自身の言葉を読みたいと思います。
 「このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです」(テサロニケ一2:13)。
 神は目に見えません。会うことも、触れることもできません。神は霊であるからです(ヨハネ4:24)。神の言葉がどうして私たちに届くのでしょうか。神が選ばれた人を通してです。もちろん人が語っているのです。ですから人の言葉として受け取られかねません。しかし、あなたがたはそれを神の言葉として受け入れました。それは神の業、だから神に感謝、とパウロは語ります。事実、それは神の言葉なのです。なぜなら、神の言葉はそれを聞いて信じた人々の中で働くからです。その人を神に従って生きるようにさせるからです。これが説教において起こる神の出来事です。
 使徒言行録第17章に戻ります。パウロたち伝道チームは、テサロニケの町のユダヤ人の会堂で、「三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、『メシア〔キリスト〕は必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた』と、また、『このメシアはわたしが伝えているイエスである』と説明し、論証」しました(2~3節)。この聖書は、今の旧約聖書です。パウロたちは、恐らくイザヤ書第53章など引用して説教したのではないでしょうか。イエスの十字架と復活の出来事を通して、イエスがキリストであると説教しました。
 「それで、彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスに従った。神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った」(4節)。ユダヤ人ばかりでなく、異邦人も信じたということは、福音は誰にでも受け入れられることを示しています。
 ところが、信じないユダヤ人たちはそれをねたみました。そればかりでなく、暴動を起こしました。ならず者を利用して町を混乱させ、パウロとシラスを引き出そうと、ヤソンの家を襲いました。ヤソンの家にパウロたちが滞在していたのでしょう。全くひどいことですが、生まれたばかりのテサロニケの教会の人々が、パウロとシラスをかくまい、守り抜いたことに驚きます。ねたんだ者たちは、ヤソンや他の者たちを連れて行って、町の当局者に訴え出ました。「彼らは皇帝の勅令に背いて、『イエスという別の王がいる』と言っています」(7節)。この言葉は、一面においては真理でした。メシア〔キリスト〕は、もともと「油注がれた者」という意味です。旧約聖書において、王または祭司または預言者が神に選ばれ、その務めに任命されるとき、油を注がれました。キリストは王であり祭司であり預言者です。私たちは、キリストを神の国の王として、信じ、受け入れています。テサロニケの教会の人々は、キリストを王として信じ、世界を治める方として神を信じたからこそ、勇気をもって伝道者たちを守ることができました。この信仰に私たちも生かされています。