2023年7月23日(日) 聖霊降臨節第9主日
礼拝順序

黙  祷
招  詞   詩編124:8
賛  美   58
主の祈り
交読詩編  詩編119:1~8
祈  祷
使徒信条
聖  書  テモテへの手紙二第3章13~17節
説  教  「聖書は生ける神の言葉」
賛  美   403
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 25
祝 祷 (コリント二13:13)

説教要旨

 原則として月に一度、日本基督教団信仰告白〔以下、教団信仰告白〕に沿って説教を始めます。本日は教団信仰告白の前半部分の第1段落を見ていきます。次の通りです。「旧新約聖書は、神の霊感によりて成り、キリストを証(あかし)し、福音(ふくいん)の真理を示し、教会の拠(よ)るべき唯一(ゆゐいつ)の正典なり。されば聖書は聖霊によりて、神につき、救ひにつきて、全き知識を我らに与ふる神の言(ことば)にして、信仰と生活との誤りなき規範なり。」この第1段落では、私たち〔教会〕は、聖書は正典であり、神の言葉であると信じる、と告白しているのです。
 私たちプロテスタント教会の源流は、マルティン・ルターの改革です。プロテスタント改革の二大原理は「信仰のみ」「聖書のみ」です。教団信仰告白は、信仰の源泉である聖書が神の言葉であることを共同の信仰として確認しています。神が聖書によってご自身を啓示してくださるからです。正典はギリシア語で「カノン」といい、元は「ものさし」という意味です。聖書が正典であるとは、聖書が真理の基準であり、聖書以外のものさしによって、真理を語っているかどうかを判断することはありません。
 聖書は大きく二つの部分に分かれます。旧約聖書39巻と新約聖書27巻です(全66巻)。旧約聖書はヘブライ語で書かれており、新約聖書はギリシア語で書かれています。それでは神は何語でお話されたのでしょうか? 神の言葉は言語に依りません。神は、限りある人間の言葉で語り尽くせないほど大きいお方です。ですから神の言葉を知るためには手引きする人が必要です。「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ…」(テモテ二3:16)。とあります。神は、お選びになった人間に神ご自身の思いを示され、その神の言葉を聞いた者が人々に向かって語る、その記録が聖書だからです。ある人は「聖書にはキリスト教について書いていない」と言いました。そうなんです。聖書には、キリスト教について、神について、説明はないのです。聖書は「~について」説明する本ではありません。神についての言葉ではなく、神の言葉です。
 ごく簡単に申しますと、旧約聖書はイスラエルの民の歴史が記されています。そのイスラエルとは、現在パレスチナにあるイスラエルではなく、紀元前6世紀、大国によって国が滅ぼされてしまったイスラエルの民です。その民族の歴史です。旧約聖書には人間の罪の現実が記されています。神が創造された最初の人は神に背き、その次の世代の人はきょうだいを殺してしまいました。また、他の民族を滅ぼすことまで神がよしとするかのような戦争の記述もあります。そのような罪ある人間と共に生き、真理に招く神がおられます。その神がついに、神の子イエス・キリストをこの歴史の中に救い主として遣わしてくださり、救いを実現してくださいました。その証の書が新約聖書です。「この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます」(テモテ二3:15)。人間の知恵ではなく、救いに導く神の知恵が聖書を通して私たちに与えられるのです。
 「何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです」(ペトロ二1:20~21)。「預言」は現代でいえば「説教」です。神の言葉は、人を通して語られます。古代の文書である聖書ですが、主の日の礼拝の説教において、聖霊によって、今を生きる私たちへの神の言葉として語られ、聞かれるのです。聖書は生ける神の言葉です。
 聖書は信仰生活の規範です。自らの生活を聖書に合わせて生きるのです。教会アシュラムはその訓練のときです。