2023年9月10日(日) 聖霊降臨節第16主日
礼拝順序
黙 祷
招 詞 詩編124:8
賛 美 351
主の祈り
交読詩編 詩編20篇
祈 祷
日本基督教団信仰告白
聖 書 使徒言行録第19章1~20節
説 教 「イエスの御名の力」
賛 美 452
聖 餐 81
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 26
祝 祷 (コリント二13:13)
〔礼拝音声は、聖餐部分をカット〕
説教要旨
使徒パウロの第3回伝道旅行が始まっています。パウロはエフェソの町に再びやってきました。パウロは以前、「神の御心ならば、また戻って来ます」と言って、エフェソの町を出ました(使徒18:21)。エフェソを再訪できたのは、神の許しによるとして、パウロは伝道に励んだのだと思います。本日の聖書箇所は前半と後半に分けられますが、共通しているのはイエスの御名の力が示された出来事です。それを心に留めて御言葉に聴きましょう。
エフェソの町でパウロが何人かの弟子たちに会ったとき、その人たちに欠けていることがあることを感じ、「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」とパウロが尋ねると、彼らは「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」と答えました(1~2節)。「それなら、どんな洗礼を受けたのですか」と尋ねると、「ヨハネの洗礼です」と答えました(3節)。このヨハネとは、洗礼者ヨハネのことです。そこでパウロは言いました。「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです」(4節)。ヨハネの洗礼は、救い主イエス・キリストを信じるようになるためのもの。キリストはおいでになり、十字架と復活の救いを果たしてくださいました。ですから「人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受け」ました(5節)。「パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が降り、その人たちは異言を話したり、預言をしたりした」(6節)。こうして主イエスの御名の力が現わされました。
私たちも、父・子・聖霊の三位一体の神の御名によって洗礼を受けました。洗礼を受けて、聖霊が注がれ、罪赦され、神の子とされ、永遠の命をいただきました。すべて主イエスの御名の力によるもの、神の恵みの賜物です。
パウロは、他の町でしたように、エフェソでもユダヤ人の会堂で神の国の福音を語りました。しかし、ここでも反対する人がおりました。パウロは会堂を去り、ティラノという人の講堂で毎日論じていました(9節)。パウロは哲学者ティラノの講堂を、昼の休憩の間に借りて、福音を語ったと考えられます。毎日、地道に伝道し続けて2年が経ちました。エフェソの町は交通の要所でしたから「だれもが主の言葉を聞くことに」なりました(10節)。
11節からの箇所にはパウロは登場しません。各地を巡り歩いて、魔術を使っていたユダヤ人の祈祷師たちが登場します。彼らは「悪霊どもに取りつかれている人々に向かい、試みに、主イエスの名を唱えて、『パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる』」と言いました(13節)。すると悪霊が言い返しました。「イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ」(15節)。そして悪霊に取りつかれた人が、祈祷師たちをひどい目に遭わせました。この出来事が多くの人に知れわたり、かえって、主イエスの御名の力を示すことになりました(18節)。信仰に入った人々は自分の罪を認め、告白しました。魔術を行っていた人々は、その空しさを知らされ、書物を手放し、持ってきて焼き捨てました(19節)。
「いったいお前たちは何者だ」。私たちもまた問われています。ユダヤの祈祷師たちは、主イエスの御名を道具のように使おうとしましたが、それは過ちでした。主イエスの御名の力は、私たちが主イエスをキリストと信じ、人格的な関係に生きるところで発揮されます。これから主の食卓にあずかりますが、それは主イエスの御名の力をいただくことです。主イエスの体と血を確かにいただくことによって、私たちの内に主イエスの命の力が働きます。私たちは主のもの。洗礼を受けています。聖餐にあずかっています。聖霊を受けている、神の子、神の家族です。