2023年9月17日(日) 聖霊降臨節第17主日
礼拝順序

黙  祷
招  詞   詩編124:8
賛  美   405
主の祈り
交読詩編  詩編15篇
祈  祷
使徒信条
聖  書  使徒言行録第19章21~40節
説  教  「霊の導きと空騒ぎ」
賛  美   531
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 27
祝 祷 (コリント二13:13)

説教要旨

 「このようなことがあった後、パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、『わたしはそこへ行った後、ローマも見なくてはならない』と言った」(21節)。
 この21節の前半は、口語訳聖書では「これらの事があった後、パウロは御霊に感じて、マケドニヤ、アカヤをとおって、エルサレムへ行く決心をした」となっています。新共同訳聖書で「御霊に感じて」が訳出されなかったのは残念です。使徒言行録第20章22節でパウロは「今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます」と語っているからです。パウロ自身、エルサレム訪問を切望していたでしょうが、祈りのなかで、聖霊の導きにより、エルサレム訪問は神の御心であると悟ったのです。
 21節後半のパウロが語った「ローマも見なくてはならない」も、パウロの強い願いであると共に、原文のギリシア語には「必ずそうなる」という意味があります。主イエスが弟子たちにご自分の死と復活を予告されたとき、同じ言葉づかいをしています。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている」(ルカ9:22)。必ずそうなる、つまり「神の必然」です。パウロはローマを必ず見ることになる、ということです。
 「マケドニア州とアカイア州を通り」とは、コリント教会などパウロの伝道によって生まれた教会の人々を訪問し、慰め、励ますためでしょう。主イエスが、弟子たちを派遣したように、パウロは伝道の同労者である「テモテとエラストの二人をマケドニア州に送り出し」ました(23節)。
 「そのころ、この道のことでただならぬ騒動が起こった」(23節)と、エフェソの町に起こった騒動について詳しく書かれています。きっかけは、アルテミス神殿の模型で儲けていた銀細工師デメトリオと職人たちの会合でした。彼らは、使徒パウロの福音宣教が、自分たちの商売に不利益を被ると考えました。それを聞いた人々が腹を立てて、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫びだし、町中が混乱してしまいました。
 32節を読みます。「さて、群衆はあれやこれやとわめき立てた。集会は混乱するだけで、大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかった」。使徒言行録の著者ルカが冷静に事柄を見ていることが分かります。大勢の人がいましたが空しい集会でした。32節の「集会」は、ギリシア語原文では「エクレシア」です。新約聖書では「教会」と訳される言葉です。「エクレシア」は「呼び集められた者たちの集まり」という意味です。教会は神の「エクレシア」です。何のために集まるのか分からない、ということはありません。神に呼ばれて、集められたからここにおります。この礼拝も生ける神とお出会いしているのです。一方、このエフェソの集会は、混乱し、わめき声があるだけの空しい集会でした。
 群衆は混乱していましたが、地域の指導者は冷静にこの騒ぎを治めようと努め、群衆をなだめました。書記官は言いました。「エフェソの諸君、エフェソの町が、偉大なアルテミスの神殿と天から降って来た御神体との守り役であることを、知らない者はないのだ」(35節)。このアルテミス神殿は、太く高い大理石の柱が127本あり、万単位の人が入れる巨大な建物でした。威厳があったでしょう。しかし、この書記官の言葉にあるように、どんなに威厳がある神殿であっても、エフェソの町によって守られる神殿でした。人間によって守ってもらう神でした。
 聖書の神はそうではありません。神は、天地万物を造られ、世界と歴史を治めておられます。私たちを救うために救い主を送ってくださり、私たちを守ってくださる神なのです。