2023年12月17日(日) 降誕前第2主日・アドベント第3主日
礼拝順序
黙 祷
招 詞 詩編124:8
賛 美 242(1~3節)
主の祈り
交読詩編 詩編103:1~13
祈 祷
使徒信条
聖 書 ルカによる福音書第19章1~10節
説 教 「失われた者を捜して救う」
賛 美 515
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 28
祝 祷 (コリント二13:13)
説教要旨
10節の「人の子」とは主イエスご自身のことですから、「わたしは、失われたものを捜して救うために来た」と主イエスはおっしゃったのです。アドベントは「到来」。私たちを捜し出して救うために、主イエスはこの世に来てくださったのです。
本日は、主イエスに見出された人として、「まばたきの詩人」として有名な水野源三さんを紹介したいと思います。水野源三さんが召されて約40年になりますが、数年前、妹の林久子さんが文章を書いた「まばたきの詩人 兄・水野源三の贈り物 悲しみよ、ありがとう」が出版されました。赤痢の高熱が続き、9歳で脳性まひとなり、動くことも話すこともできなくなった源三さん。やがて、学校で教わった五十音表を久子さんが源三さんに見せて、「あ・か・さ・た・な」で行を決め、その中から一字を拾い、簡単な話ができるようになりました。体調が落ち着いたころ、お父様の励ましで俳句や詩の講座を受講して、作るようになりました。源三さんは家族の愛の中で暮らしていましたが、家族以外の人と会うのを嫌がり、お父様が部屋の入口にドアをつけて、家族以外が入らないようにしていました。
戦後の坂城(長野県)にキリスト教の伝道者で教師の宮尾隆邦先生が坂城小学校の分校に赴任されました。ある日、水野家を宮尾先生が訪れ、「この家に病気の男の子がいますね。これをあげてください」と聖書を置いていきました。宮尾先生は、学校の先生で、強引に布教することもなかったので、水野家の人々は先生の優しい人柄に触れ、先生を好きになっていきました。源三さんも先生が来ると、他人を拒んでいた六畳間に宮尾先生を迎え入れました。源三さんは、聖書の中で漢字のルビを見て、知らなかった漢字の読みを覚えて、いつの間にか読書力は大人並みになりました。主イエスを信じた源三さんは信仰の詩を創作し、それがキリスト教関係の雑誌に入選するようになり、救いの喜び、生きる喜びを、詩を通して表現するようになりました。「あの日あの時に/戸の外に立ちたもう/主イエス様の/御声をきかなかったら/戸をあけなかったら/おむかえしなかったら/私は今どうなったか/悲しみのうちにあって/御救いの喜びを知らなかった」。
本日は、ルカによる福音書第19章1節からザアカイと主イエスとの出会いの出来事を読みました。ザアカイも主イエスに捜し出されて救われた人です。エリコの町で、徴税人の頭で、金持ちであったザアカイ。いくらお金があっても、人々と共に生きることができませんでした。もしザアカイが人々と仲良く生きていたら、「イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて」(3節)しまうことはないのです。「どうぞ、前へ」となるはずです。ザアカイは徴税人の特権を使って、金持ちになっていたので人々から良く思われていませんでした。しかしザアカイはあきらめず、先回りしていちじく桑の木に登り、イエスを見ようとしました。何と、イエスはその場所に来ると、上を見上げて「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」と言われたのです(5節)。主イエスは、ザアカイよりも低いところに身を置いておられます。これは、主イエスが罪人よりも低いところに身を置かれた十字架の出来事を示しています。たった一人の魂を追い求めてくださる主イエスです。
ザアカイもまたイエスだけを見つめ、喜んで迎え入れます。思いがけない大きな喜びのなかで、ザアカイは変わらざるを得ませんでした。施しと償いをします、と主イエスに申し出ました(8節)。イエスはそれを聞いて言われました。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから」(9節)。これは、「今日」私たちにも語られている主イエスのお言葉です。