2023年12月24日(日) 降誕前第1主日・アドベント第4主日
クリスマス礼拝順序
黙 祷
招 詞 詩編124:8
賛 美 Ⅱ219(さやかに星はきらめき)
主の祈り
交読詩編 詩編98篇
祈 祷
日本基督教団信仰告白
聖 書 ヨハネによる福音書第16章33節
説 教 「しかし勇気を出しなさい」
賛 美 255
聖 餐 81
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 29
祝 祷 (コリント二13:13)
〔礼拝音声では聖餐部分をカット〕
〔説教要旨〕
「わたしは既に世に勝っている」。これが、クリスマスのメッセージです。ベツレヘムの町で飼い葉桶に眠っている幼子イエスが、存在をもってこう語っておられます。良い人間でもなく悪い人間でもなく、いかなる国でもなく、力を振るう政府でもなく、素晴らしい学問や技術でもなく、「わたし」と言うことのできる、ただ独りの御方が、「わたしは既に世に勝っている」と宣言されます。
もう1箇所聖書を読みます。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」(ヨハネ3:16~17)。これも私たちが聞くべきクリスマスのメッセージです。主イエス・キリストはどのようにして世に勝たれたのでしょうか。キリストは世を裁くためではなく、世を救うために来られたのです。ご自身を十字架の死に身を委ねることによって、世に勝たれたのです。ですから「世」、すなわち私たちは滅びを免れ、救われました。御子は、世を神と和解させられました。こうしてキリストは世を支配し、世を再創造されました。
「わたしは既に世に勝っている」と言われました。「まだ」でもなく「これから」でもなく、「既に」です。主イエスは十字架のうえで「成し遂げられた」を言われて、息を引き取られました(ヨハネ19:30)。キリストの救いは成し遂げられたのです。
世に勝たれたキリストは、私たちの現実をよくご存じでいてくださいます。「あなたがたには世で苦難がある」。本当にそうなのです! 「苦難」は「悩み」とも「不安」とも訳されています。私たちが心を痛めている戦争がなかなか止みません。2022年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻。今年の10月、ガザでのハマスがイスラエルを攻撃したことから始まった戦闘。世界のことばかりではなく、家庭においても、職場においても、教会においても、悩みがあり、それゆえに不安があります。
ルカによる福音書第2章には、主イエスの誕生の出来事が記されています。主イエスご自身、生まれたときから苦難の中にありました。主イエスは、人のいるところではなく、動物のいるところにお生まれになりました。赤ちゃんの主イエスは、ベッドではなく、飼い葉桶に寝かせられました。以前、あるクリスマスの説教を聴いて心を動かされたことがあります。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」(ルカ2:7)。けれども、本当は私たちの心に救い主を迎える場所がなかったのだ、と。若い夫婦二人を迎え入れるのに、大きなスペースは必要ありません。私たちは礼拝堂に座っていますが、少し詰めれば座れる人がいるように、マリアとヨセフのために人々が少しゆずったら場所ができたでしょう。しかし自分たちを優先してしまう人間の心の中に、救い主をお迎えする場所がなかったのです。昔も今も、人は自分の命が脅かされる不安を持っています。それを主の前に認めることです。「あなたがたには世で苦難がある」。本当にそうなのです。
そこに神の「しかし」が響きます。「しかし、勇気を出しなさい。『わたしは既に世に勝っている』のだから!」。主イエスご自身が苦難の中にお生まれになったと申しました。主イエスは、世に来てくださり、十字架の上で、わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになった」と叫ばざるを得ないほどの苦しみを受け、耐え忍ばれました。私たち人間が経験し得ない、最も深い不安を抱かれ、神から裁かれ、命を取られました。この方を神は復活させられました。キリストは今も生きておられ、世に勝利されています。私たちは、このキリストを信じることによって、勇気を出して、大胆に生きることができるのです。