2024年1月14日(日) 降誕節第3主日
礼拝順序
黙 祷
招 詞 詩編124:8
賛 美 368
主の祈り
交読詩編 詩編46篇
祈 祷
日本基督教団信仰告白
聖 書 使徒言行録第26章24~32節
説 教 「主の器・パウロ」
賛 美 487
聖 餐 81
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 26
祝 祷 (コリント二13:13)
〔礼拝音声は聖餐部分をカット〕
〔説教要旨〕
前回の説教では、ユダヤの最高法院においてパウロが議員たちに「死者の復活」という希望を語ったために、最高法院は分裂し収拾がつかなくなり、パウロはローマの千人隊長に救い出され、保護される、という出来事をみました(使徒23:1~11)。
その後、パウロを敵視するユダヤ人たちは、パウロはローマ帝国に背く者であると総督に訴え出たり、パウロを暗殺する計画を立てたりしましたが、失敗しました。そのうちローマ総督がフェリクスからフェストゥスに交代しました。パウロは、正しい裁判が行われることを求め、自分のローマ市民権を行使して、皇帝に上訴する、とフェストゥスに申し出ました。パウロがローマ市民なので、総督は皇帝への上訴を却下できず、パウロは引き続きカイサリアでローマの保護のもとに置かれました。ガリラヤ湖周辺地域を治めていたアグリッパ王が、新しいローマ総督に挨拶するためにカイサリアに来ました。アグリッパ王の滞在が続いたので、ローマ総督フェストゥスが「パウロという囚人がいる」とアグリッパ王に話したら、王が興味を持ち、パウロの話を聞いてみたいと言いました。フェストゥスはそれを承諾して、翌日、パウロはアグリッパ王のもとに引き出されて、王の前で弁明することになりました(使徒25:23、26:1)。
パウロは、アグリッパ王の前でも最高法院で語ったように死者の復活の希望を語り、そのために同胞から訴えられている、と言いました。パウロは、かつてイエスの名を信じる人々を迫害したこと、祭司長の許しを得て迫害の手を伸ばしてダマスコに向かっていたこと、その途中で、復活のイエスが自分に出会ってくださった出来事を語りました。主イエスはパウロを救われると同時に使命をお与えになりました。「わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たこと、そして、これからわたしが示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人にするためである」(使徒26:16)。こうしてパウロは、主の召命に応えて福音を宣教した、と語りました。「私は、メシアが苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活して、民にも異邦人にも光を語り告げることになると述べたのです」(使徒26:23)。
このパウロの弁明を、ローマ総督フェストゥスが大声でさえぎってこう言いました。「パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ」(24節)。ローマ総督ですから、エリート中のエリートで、ローマの法の専門家です。しかし神の出来事は、どんなに知識があっても、信仰がなければ理解できないのです。パウロは「真実で理にかなったことを話している」(25節)と答え、アグリッパ王に「預言者たちを信じておられますか」と迫りました(27節)。アグリッパ王も話をはぐらかしたので、パウロは語りました。「今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります」(29節)。「神に祈ります」とは、救いは神のなさることである、ということです。このパウロの言葉にすべての伝道者も、教会も共に立っています。
パウロの言葉です。「『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。しかし、わたしが憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しになり、わたしがこの方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした」(テモテ一1:15~16)。「私のようになってくださること」(使徒26:29)とは、こんな罪人が、こんなに神の憐れみを受けています、私はその手本です、この神の憐れみはあなたにも同じように注がれています、神の光の中に共に立ちましょう、ということなのです。