2024年2月4日(日) 降誕節第6主日
礼拝順序

黙  祷
招  詞   詩編124:8
賛  美   444
主の祈り
交読詩編  詩編111篇
祈  祷
使徒信条
聖  書   使徒言行録第28章17~31節
説  教  「自由に妨げもなく」
賛  美   516
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 29
祝 祷 (コリント二13:13)

〔説教要旨〕 

 「(パウロは)全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」(31節)。使徒言行録は、ルカ福音書の著者ルカが書いたと言われています。ルカ福音書と使徒言行録を合わせると、新約聖書で相当な分量を占めています。当時は羊皮紙に文字を書きました。ルカは、祈りながら聖霊に導かれながら、一字一句刻むように書いて、宛先であるテオフィロ(ルカ1:3、使徒1:1~2)とその共同体を励ましたのでしょう。ルカは2冊の書物を通して「神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続け」たと言えます。この教会の使命、神の業は、今も続いています。
 「全く自由に、何の妨げもなく」(31節)とは、使徒パウロの活動の自由が全く許されたという意味ではありません。20節を見ると「わたしはこのように鎖でつながれている」とあります。パウロは囚人でした。しかし活動の自由が妨げられていても、伝道することが許されたのでした。「全く自由に」は「すべての点で大胆に」と訳せます。パウロは神の国を宣教し、主イエス・キリストの救いを大胆に語ったのでした。伝道者の行動が制限されても、福音の宣教を妨げることはだれにもできないのです。
 17節から見ていきます。パウロと一行がローマに着いて、彼らはすぐにローマのキリスト者に会うことはせず、ローマ在住の「おもだったユダヤ人たちを招」きました(17節)。パウロは集まったユダヤ人たちに語りました。「兄弟たち、わたしは、民に対しても先祖の慣習に対しても、背くようなことは何一つしていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に引き渡されてしまいました。ローマ人はわたしを取り調べたのですが、死刑に相当する理由が何も無かったので、釈放しようと思ったのです」(17~18節)。ルカ福音書と使徒言行録は響き合っています。主イエスも同胞から訴えられましたが、ローマ総督ピラトは主イエスには罪がないことを認めました。使徒パウロも同胞から訴えられましたが、ローマ当局はパウロに罪がないことを認めました。パウロは、主から示されたローマ行きを果たすためにも皇帝に上訴しましたが、それは同胞を告発するためではない、と語ります。自分が囚人となったのは、イスラエルが希望していることのためである、と言うのです(20節)。ローマのユダヤ人たちはパウロの言葉を受け止めて、「あなたの考えておられることを、直接お聞きしたい。この分派については、至るところで反対があることを耳にしているのです」(22節)と答えました。
 ユダヤ人たちは大勢でパウロの宿舎にやって来て、パウロは朝から晩まで、神の国について力強く証しし、モーセの律法や預言者の書を引用して、イエスについて説得しようとしました。ある者はパウロの言うことを受け入れましたが、他の者は信じようとはしませんでした(23~24節)。かけがえのない素晴らしい福音を、どうして信じてもらえないのか…。私たちも経験しています。パウロは、イザヤ書第6章の預言を引用して、このことも神がご存じであると語りました(26~27節)。パウロは、同胞の救いを願い、切なる言葉をローマの信徒への手紙に書き記しています。「わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります。わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています」(ローマ9:2~3)。語れば語るほど同胞の耳が固くなってしまう。本当に深い悲しみを覚えながら「御心がなりますように」とパウロは祈り続けたことでしょう。パウロの悲しみを教会も知っています。痛みを抱えながらの教会の歩みを、希望を持って受け継いで、神の国の福音を宣教します。