2024年3月17日(日) 復活前第2主日
礼拝順序
黙 祷
招 詞 詩編124:8
賛 美 162
主の祈り
交読詩編 詩編108:1~7
祈 祷
使徒信条
聖 書 ヨハネによる福音書第19章13~27節
説 教 「あなたの本当の家族」
賛 美 303
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 29
祝 祷 (コリント二13:13)
〔説教要旨〕
主イエスの十字架のもとには、女性の弟子たちと、母マリア、そして、名前は記されていませんがヨハネ福音書に登場する主イエスの「愛する弟子」がおりました。主イエスは母に、ご自分の弟子を信仰によって我が子と受け入れるように、と言われました(26節)。次に愛する弟子に、ご自分の母を信仰によって自分の母として受け入れよ、と言われました。「そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った」(27節)のでした。
これは何を意味するのでしょうか。主イエスは十字架の上で、十字架のもとに集められた者たちによる、血縁関係を超えた、新しい共同体・教会を造っておられるのです。私たちも同じように新しい神の家族・教会に招かれています。「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)と語られた主イエスの御言葉が実現するのです。
先日、NHKラジオ深夜便で、作家の三浦綾子さんの初代秘書の宮嶋裕子さんのインタビュー(昨年秋の番組の再放送)を聴いて、たいへん感銘を受けました。少し紹介します。
宮嶋さんの家は、経済的にたいへん厳しかったので、そのことが心の苦しみとなり、小学校高学年の頃「人はどうして生きていかなければならないのか」と思っていました。ご近所に、三浦綾子さんの夫である三浦光世さんの実家があり、お母様がおられて、宮嶋さんを教会に誘ってくれていたそうです。宮嶋さんはやがて何のために生きるのか分からなくなり、死にたいと思い詰めるほどになりました。ご両親は「神仏には頼るな」という考えでしたが、娘に死なれるくらいなら、教会に行ってもよいと許してくれました。そこで宮嶋さんは高校生の頃、教会に行き、変えられました。教会では、誰が何を持っているとか持っていないとかで区別されないで、受け入れられています。生きる喜びが与えられ、やがてこの喜びを子供たちに伝えたいと思い、宮嶋さんは旭川を離れ、働きながら学費を貯めて学校に入り、念願の幼稚園の先生になりました。しかし事情があって幼稚園を辞めて旭川に戻ることになりました。子供たちに対する責任を果たせず途中で帰ってしまった自分を責めて、キリスト者であるのに死にたいと思うほどでした。旭川に帰り教会の礼拝に出ると、三浦綾子さんに声をかけられました。宮嶋さんは学生の頃、休みの間三浦綾子さんの仕事を手伝ったことがありました。旭川に戻った事情を話すと、三浦綾子さんがちょうど秘書を探していたということで、三浦家で働くことになりました。
宮嶋さんは番組で「三浦家は地上の天国のようでした」と言われました。三浦綾子さんの自伝「道ありき」には、三浦綾子さんが戦後、空しさの果てに自殺未遂をしたことが赤裸々に記され、そこからどのようにイエス・キリストを信じ、救われたかが証しされています。「道ありき」を読んで「死ぬ前に三浦綾子さんに会いたい」という読者が、旭川の三浦家を訪ねてくる。三浦綾子さんご夫妻はその人々を温かく迎え入れていました。宮嶋さんは、自分も死にたいと思ったことがあるので、訪ねてくる人の気持ちが分かり、寄り添ってきたそうです。三浦綾子さんも宮嶋さんも、大変な空しさを経験されたので、救われた喜びもまた深く大きく、こんなに神に愛されているという喜びにあふれて、他の人を受け入れておられると思いました。
私たちは、家族のために困難をいとわないことも経験しておりますが、逆に、家族でない人のためには責任を負えない現実もあると思います。そのような限界を超えていく新しい神の家族・教会を主イエスは創造されました。