2024年4月14日(日) 復活節3主日
礼拝順序

黙  祷
招  詞   詩編124:8
賛  美   326
主の祈り
交読詩編  詩編63:1~9
祈  祷
日本基督教団信仰告白
聖  書   ヨハネによる福音書第21章15~25節
説  教  「愛がなければ」
賛  美   518
聖  餐   81
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 27
祝 祷 (コリント二13:13)

※礼拝音声は聖餐をカットしています。

〔説教要旨〕 

 本日の聖書箇所の直前の、ヨハネによる福音書第21章1節以下も、深く心動かされる出来事です。ガリラヤ湖で夜通し漁をしていた7人の弟子たちのために、イエスが岸辺で炭火を起こし、食事の準備をされ、言われました。「さあ、来て、朝の食事をしなさい」(12節)。実は、主の日の礼拝ごとにイエスはいつも私たちにこの言葉を語っておられるのです。特に今朝は主の食卓が備えられています。私たちは、神の言葉、イエスの体(パン)と血潮(ぶどう液)をいただきます。「さあ、来て、食べなさい」。主イエスはこうして、私たちをもてなしてくださるのです。
 「イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である」(14節)。聖書で「三度」とは深い意味があります。神の世界を表しています。
 この食事が終わると、イエスはペトロに向かってお尋ねになりました。「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」。ペトロは答えました。「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」。イエスは「わたしの小羊を飼いなさい」とペトロに言われました。2度目もイエスはペトロに「わたしを愛しているか」と問い、ペトロは同じ答えをしました。イエスは3度目にもペトロに言いました。「わたしを愛しているか」。ペトロは、イエスが3度目も「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなりました。(17節)。
 私たちは、イエスがユダヤ当局に捕らえられる前、イエスがペトロの離反を予告された出来事を知っています。イエスがどこかへ行ってしまうと思ったペトロは、イエスに「あなたのためなら命を捨てます」と言いました。イエスはペトロに「鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう」と言われました(ヨハネ13:37~38)。「命を捨てます」と言ったとき、ペトロは「私の気持ちを先生はなぜ分かってくれないのか」と思ったかもしれません。しかし、本当にペトロのことを分かっていたのはイエスでした。イエスの言葉どおりに、ペトロは「わたしはあの人の弟子ではない」と3度言ってしまいました。鶏の鳴き声にイエスの言葉を思い出したペトロは打ち砕かれたはずです。あのとき、イエスの弟子ではない、と3度言ってしまった罪を覆うようにして、イエスは3度ペトロに愛を問われました。
 そのことを知っていましたから、イエスから問われたとき、ペトロは「はい、私はあなたを愛しています」と答えることはできませんでした。ペトロの3度目の答えは「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます」。自分で、自分の言葉を確かにすることは人間にはできません。あの人は確かだと思っていても、裏切られることがある。自分が裏切ってしまうこともある。どんなに自分が不確かであったか、ペトロは知りました。そんなペトロの弱さもイエスは初めからご存知でした。ですから、イエスに愛を問われたとき、「主よ、あなたがご存知です」と答えるばかりでした。
 これは信仰の言葉です。私たちもペトロと同じです。私たち一人ひとりの罪を主イエスがどこまでも覆ってくださる。そのことを知った人間は、ペトロと同じ信仰の告白をすることができるし、ペトロと同じところに立つしかないのです。
 主イエスは、ペトロが死において、神の栄光を現わすようになる、と預言されました(19節)。ペトロは殉教したと伝えられています。弱かったペトロ、死の恐れゆえにイエスを否定したペトロが、復活の主に立ち上がらせていただき、聖霊を受けて、死においても、神を証しするまでに変えられました。「あなたはわたしに従いなさい」(22節)。私たちもキリストに従います。