2024年5月12日(日) 復活節7主日
礼拝順序

黙  祷
招  詞   詩編124:8
賛  美   205
主の祈り
交読詩編  詩編116:1~7
祈  祷
日本基督教団信仰告白
聖  書   ヨハネによる福音書第1章1~18節
説  教  「恵みと真理が現われた」
賛  美   531
聖  餐   81
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 25
祝 祷 (コリント二13:13)

※礼拝音声は聖餐をカットしています。

〔説教要旨〕 

 ヨハネによる福音書第1章1~18節は序章ですが、賛歌であったと言われています。キリストをほめたたえる賛美であったのです。本日は、特に14節に集中して説教しますが、「言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」(14節)、これは、ヨハネ福音書の著者、そして著者の属していた教会が、神の独り子が人となり、世に来られた出来事を目撃させられ、この救いを大きな驚きと喜びを持ってほめたたえずにはいられなかった信仰の言葉である、と感じます。15節には「ヨハネ〔洗礼者ヨハネのこと〕は、この方〔キリスト〕について証しをし、声を張り上げて言った。…」とありますが、洗礼者ヨハネも同様に「声を張り上げて」ほめたたえたのでしょう。私たちも礼拝で、キリストの救いの御業を、声の限り、賛美をいたしましょう。
 14節の「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」の「宿られた」は直訳すると「天幕〔幕屋・テント〕を張った」です。「天幕を張る」というと、旧約聖書に書かれているイスラエルの民の荒れ野の旅を思い起こします。エジプトで奴隷状態にあったイスラエルの人々でしたが、神の力強い御業によってエジプトから脱出できました〔出エジプト記より〕。その後、イスラエルの人々(神の民)は、荒れ野を通って約束の地カナンを目指して旅をしました。その旅では民はテントに宿営しました。神を礼拝するための聖所もテント(幕屋)でした。移動する聖所だったのです。こうして聖所は臨在の幕屋として、常に神の民と共にありました。神の民は、臨在の幕屋を中心にしてその周りに宿営しました。昼は雲の柱、夜は火の柱が現れて、聖所である幕屋の上にとどまりました。雲の柱が離れて昇ると、人々はテントをたたみ、聖所もたたんで移動しました。雲の柱が動かなければ、民はとどまり続けました。神は、水を与え、食物を与えて荒れ野の旅を支えてくださいました。神が共におられるしるしが、臨在の幕屋でした。神の民は、幕屋を見て、雲の柱を見て、神が共におられることを確かにされました。
 神の言(ことば)であるキリストが、私たちの間に天幕を張ったとは、この臨在の幕屋のようであり、それ以上の出来事です。「言は肉となって」(「受肉」といいます)、つまり神であられる方が私たちと同じ人間(肉)となられたという驚きの出来事です。
 使徒パウロがこう語っています。「肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです」(ローマ8:3)。神は、ご自分の御子をこの世に派遣されました。御子は罪人である私たち人間と同じ人間としてお生まれになりました。私たち人間の罪の裁きをその身にお受けになるためでした。十字架で裁きを受けて死なれたイエスは、復活して、ご自分がキリストであり、救いを確かにされたことを示されました。「わたしたちは皆、この方〔キリスト〕の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れた」(16~17節)。律法は神に救われた者の生きる道であり、良いものであり、神の恵みです。しかし私たちは、そのままでは罪のために律法に従って生きられせん。キリストは、そんな私たちを罪から解放して、恵みと真理によって生きるようにしてくださいました。「言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」(12節)のです。この救いをほめたたえずにはいられないのです。