2024年9月8日(日) 聖霊降臨節第17主日
礼拝順序
黙 祷
招 詞 詩編124:8
賛 美 206
主の祈り
交読詩編 詩編113篇
祈 祷
賛 美 56
日本基督教団信仰告白
聖 書 ヨハネによる福音書第4章16~30節
子ども説教
説 教 「神が求める礼拝とは」
賛 美 516
聖 餐 81
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 24
祝 祷 (コリント二13:13)
〔礼拝音声は聖餐部分をカット〕
〔説教要旨〕
主イエスは、サマリ人の町シケルの郊外の井戸の側で、旅につかれて座り込んでおられます。正午ごろでした。暑いので、だれも水を汲みに来ないころ、一人の女が井戸に来ました。イエスが声をかけられ、彼女が応えて、対話が始まりました。イエスが女に「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(ヨハネ4:16)と女に語りかけられると、女は「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください」と言いました(17節)。イエスが語られた「水」とは神が与えてくださる聖霊のことです。しかし女は、飲む水のことを思っています。
イエスは「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と女に言われました(16節)。女が「わたしには夫はいません」と答えると、イエスは「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ」(17~18節)と言われました。自分のことを言い当てられた女は「この人はただ者ではない。神の人ではないか」と思い、言いました。「あなたは預言者だとお見受けします。わたしども〔サマリア人〕の先祖はこの山〔ゲリジム山〕で礼拝しましたが、あなたがた〔ユダヤ人〕は、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています」(19~20節)。イエスはこの女を信仰へと招かれます。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る」と(21節)。イエスは、神は私たちの父であって、その神を礼拝するのに場所は関係ない、と言われます。続けて「霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」(23~24節)と女に言われました。神が求めておられるのは、霊と真理をもって父である神を礼拝する礼拝者です。「霊」とは神の霊です。ヨハネ福音書において「真理」とはイエス・キリストご自身であり、キリストの言葉です(ヨハネ8:31~32、10:6参照)。ですから、神が望んでおられる礼拝を、父と御子と聖霊の神が、私たちに実現させてくださるのです。だれもが礼拝者として招かれています。ユダヤ人もサマリア人も、地の果てに至るまで全ての人が招かれています。しかし生まれながらの私たちは、そのままでは神が求める礼拝をすることはできません。新しく生まれなければなりません。
サマリアの女はイエスに言いました。「キリストと呼ばれるメシアが来られる…とき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます」(25節)。すると、目の前の人が「それは…わたしである」(26節)と言ったので、女はたいへん驚きました。女は水がめをそこに置いたまま町に行き、人々に「さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシア〔キリスト〕かもしれません」(29節)と言いました。女の言葉を聞き過ごすことはできません。この人がキリストかもしれないと信じたことと、自分の過去と現在を言い当てられたこととが関わり合っています。最も個人的でだれにも言えないこと、自分でもどうすることもできないこと、その状況に捕らわれているところに、主イエスは御手を伸ばし、触れて、救い出してくださいます。サマリアの女は主イエスに出会い、人を避けていた状況から解き放たれ、キリストを伝える証人になりました。主イエスは女が変えられたのをご覧になり、喜ばれたことでしょう。