2024年10月27日(日) 降誕前第9主日
礼拝順序

黙  祷
招  詞   詩編124:8
賛  美   205
主の祈り
交読詩編  詩編8篇
祈  祷
賛  美   175
使徒信条
聖  書   ルカによる福音書第1章26~38節
子ども説教
説  教  「女から生まれた者」
        〔使徒信条による説教〕
賛  美   271
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 25
祝 祷 (コリント二13:13)

〔説教要旨〕

 今日は、使徒信条による説教です。使徒信条の第2部(イエス・キリストを信ず)の『主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ』です。マルコ・ヨハネ福音書にはイエス誕生の直接の出来事は書かれていませんが、四つの福音書すべて、新約聖書全体が、イエス・キリストは人としてお生まれになった神の子であることを証ししています。まず、天使が、ナザレに暮らすマリアに、神の救いのご計画を告げた出来事に耳を傾けましょう。
 神は、ガリラヤの町ナザレに暮らすマリアのもとに天使ガブリエルを遣わされました。マリアは、ダビデ王の子孫であるヨセフの婚約者で、10代前半の年頃と考えられています。結婚の日を待ちながらも、いつものように過ごしていたマリアのもとに、不意打ちのように天使が訪れ、祝福の挨拶をしました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」。マリアは天使の言葉に戸惑いました。天使は言いました。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい」(30~31節)。イエスの誕生が予告されました。マリアは言いました。「なぜそんなことがありえるでしょうか。私はまだ結婚していません」。天使は言いました。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」(35節)と。人によらないで、聖なる神の霊のお働きによって、マリアは命を宿し、生まれる子は神の子だというのです。天使はさらに言いました。「エリサベトを見てごらんなさい。彼女は高齢で子どもが生まれるとは考えられなかったのに、今、身ごもって半年になっているのではないか」。さらに言いました。「神にできないことは何一つない!」(37節)。マリアはこの言葉を信じ、神に信頼して、自分を神にお任せしました。「わたしは主のはしため〔召使い〕です。お言葉どおり、この身に成りますように」(38節)。信仰を持ってこう答えました。やがて天使が告げた通り、主イエスがマリアを母としてお生まれになります。
 もう一箇所、ガラテヤの信徒への手紙第4章4節の御言葉を読みます。本日の説教題はここからとりました。「しかし、時が満ちると、神は、その御子〔イエス・キリスト〕を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました」。神の時が満ちて、神の子は人としてマリアからお生まれになりました。次の5節にその目的が語られています。「律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした」。4節の「律法の下に生まれた者として」とは、「律法の支配下にある」すべての人間―私たち―と同じところにイエスは身を置いてくださったということです。律法とは、神に従って生きる道ですが、私たちは、そのままでは律法に従えず、それゆえに神の前に罪ある者であり、罪と死に閉じ込められていました。主イエスは十字架にその身を献げ、復活によって罪と死に勝利され、贖いとなり、救いとなってくださいました。私たちを救うために、神の子が約2千年前に生まれてくださったとは、何と大きな恵みでしょうか。
 使徒パウロは続けて語ります。「あなたがたが子であることは、神が、『アッバ、父よ』と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります」(ガラテヤ4:6)。イエスの母となるとはマリアだけの使命ですが、マリアに語られた天使の言葉は私たちにも実現しています。聖霊が私たち一人ひとりに降ってくださっているからこそ、私たちは信仰によって心から神を「父よ」と呼んでいます。私たちも神の子とされています。ですから、私たちもマリアのように、神の救いのために「お言葉どおりこの身になりますように」とお応えするのです。