2025年5月25日(日) 復活節第6主日
礼拝順序
黙 祷
招 詞 詩編124:8
賛 美 351
主の祈り
交読詩編 詩編8篇
祈 祷
賛 美 337
使徒信条
聖 書 エフェソの信徒への手紙第2章1~10節
子ども説教
説 教 「天に昇られたキリスト」
〔使徒信条による説教〕
賛 美 411
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 26
祝 祷 (コリント二13:13)
〔説教要旨〕
今年の昇天日は、5月29日です。使徒言行録第1章のキリストの復活から昇天までの出来事に耳を傾けたいと思います。
イエスは十字架で死んで葬られ、三日目に復活されてから、40日間、弟子たちを訪れて神の国の福音を語られました。さらに弟子たちに、聖霊が注がれるからエルサレムにとどまるよう命じられました。イエスが話を終えると、弟子たちが見ているうちに天に上げられ、雲に覆われてイエスのお姿は見えなくなりました。弟子たちのそばに御使いが立っていて、彼らに言いました。「あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」(使徒1:11)と。ルカ福音書の最後にこう記されています。「イエスは…手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた」(ルカ24:50~51)。天に昇られたイエスの両手は今も私たちを祝福するために上げられています。
イエスが天に昇られて10日後、弟子たちに聖霊が降(くだ)りました。弟子たちは力を受け、ペトロは神殿で力強く説教をしました。そのペトロの説教にはこう語られています。「イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。…ダビデは天に昇りませんでしたが、彼自身こう言っています。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着け。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするときまで」』(使徒2:33~35)。本日は使徒信条の「(キリストは)天に昇り、全能の父なる神の右に坐(ざ)したまへり」の基づいての説教ですが、「神の右におられる」という聖書の言葉はたくさんあり、先ほどペトロの説教はその一つです。ペトロは説教で、救い主が神の右の座にお着きになる、とダビデは預言し、それはイエスにおいて実現したと語りました。
教会の救いの中心は、イエス・キリストの十字架と復活の出来事ですが、キリストの昇天によって、私たちは天とつながりました。それは祈りにおいて見られます。私たち一人ひとりが、神を「父よ」と呼び、「イエス・キリストの御名によって祈ります」と祈るとき、天でその祈りは聞かれています。私たちの祈りを、神の右の座におられるキリストが神に届けてくださるからです。
使徒パウロはエフェソの信徒への手紙でこう語っています。「憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです―― キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました」(エフェソ2:4~6)。私たちにとってキリストが共にいてくださる(インマヌエル(マタイ1:23))ことが大きな慰めであり励ましですが、それは同時に、私たちもまた、キリストがおられるところに共にいる、ということでもあるのです。信仰の目が開かれると、私たちはイエスと共に天の王座に着かせていただいているという破格の恵みを知るのです。
最後に、使徒言行録第7章の「ステファノの殉教」の箇所を見たいと思います。初代教会の奉仕者であったステファノは、ユダヤ当局に捕らえられました。人々はステファノの説教に耳を傾けず、かえって激しく怒り、ステファノを石で打ち殺そうとしました。そのときステファノは「聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、『天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える』」と言いました(使徒7:55~56)。ここで、主イエスは座っておられません。ステファノを迎えようと立っておられます。私たちが地上の生涯を終えるとき、イエスは神の右に立って迎えてくださるのです。