2025年9月7日(日) 聖霊降臨節第14主日
礼拝順序

黙  祷
招  詞   詩編124:8
賛  美   208
主の祈り
交読詩編  詩編48:9~15
祈  祷
賛  美   543
使徒信条
聖  書   ヨハネによる福音書第11章45~57節
説  教  「一つに集めるための死」
賛  美  303
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 29
祝 祷 (コリント二13:13)

〔説教要旨〕

 本日の説教題は、52節の御言葉「(イエスは)国民のためばかりでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死ぬ、と言ったのである」から付けました。
 「一つに集めるために」と聞くと、同じヨハネ福音書のイエスの祈りを思い起こします。第17章です。「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります」(ヨハネ17:21)。イエスは、十字架に命を献げるにあたり、天の父に、「すべての人を一つにしてください」と祈ってくださいました。父と子と聖霊の神の三位一体の神は、唯一の神であられます。神の内に、互いに愛し合う愛が成り立っています。人が神のかたちに造られたのは、神を愛し、互いに愛し合って生きるためです。けれども、私たちは罪のためにその愛に生きることができません。私たちのために、イエスが罪の贖いとなられることで、私たちは罪赦され、神に愛され、神を愛して生き始めることができるのです。
 もう一つ、主イエスがお語りになった言葉を思い出します。ヨハネ第10章です。「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる」(ヨハネ10:16)。私たち一人ひとりは、良い羊飼いであるイエス(ヨハネ10:11、14)に従う羊です。イエスも属しておられたユダヤの民ばかりでなく、異邦の民も、一人の羊飼いである主イエスに導かれる一つの群になります。本当に、すばらしいビジョンです。
 今、聞いたヨハネ福音書第17章、あるいは第10章の言葉は、イエスが語られた言葉です。しかし、第11章52節の言葉は、最高法院の大祭司カイアファの発言を受けたもので、イエスのお言葉ではありません。カイアファはこう言いました。「あなたがたは何も分かっていない。一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなたがたに好都合だとは考えないのか」(49~50節)。
 この発言は、最高法院の議員たちに向けて発せられました。そのとき、最高法院の人々は、イエスの行うしるし(奇跡)に戸惑い、恐れていました。「この男〔イエスのこと〕は多くのしるしを行っているが、どうすればよいか。このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。そして、ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう」(47~48節)。ナザレのイエスをこのまま放っておけば、謀反が起こるかもしれない、というわけですが、大祭司カイアファの発言によって、最高法院は、イエスを殺そうと決めました(53節)。
 この大祭司の発言を、ヨハネ福音書の著者(信仰共同体)は次のように受けとめました。「これは、カイアファが自分の考えから話したのではない。その年の大祭司であったので預言して、イエスが国民のために死ぬ、と言ったのである。国民のためばかりでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死ぬ、と言ったのである」(51~52節)。自己保身であり、神殿を守るためのカイアファの発言でしたが、彼は知らずして、預言、つまり神の真理の言葉を語らせられたのです。イエスが、すべての人の代わりに死ぬことにより、民は滅びないで救われる、という神の出来事の預言となったのです。神をも畏れない最高法院の決定に、神の支配が及んでいました。驚きです。神のなさり方は、私たちの思いを超えています。