2025年10月26日(日) 降誕前第9主日
礼拝順序

黙  祷
招  詞   詩編124:8
賛  美   325
主の祈り
交読詩編  詩編25:1~11
祈  祷   
賛  美   480
使徒信条
聖  書   コリントの信徒への手紙二第5章13~21節
子ども説教
説  教  「罪の赦しを信じる」
        〔使徒信条による説教〕
賛  美   475
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 24
祝 祷 (コリント二13:13)

〔都合により、祈祷後の讃美歌音声はカットしています〕

〔説教要旨〕

 本日は使徒信条の第3部(聖霊への信仰告白の部分)の「罪の赦し(を信ず)」の説教です。このあと使徒信条は「身体(からだ)のよみがへり、永遠(とこしへ)の生命(いのち)を信ず」と続きます。この三つは、使徒信条の他の文言と比べると、一人ひとりの身の上に実現する神の恵みだといえます。あなたが、あるいはわたしが、つまり一人ひとりが、神から罪の赦しをいただき、体ごとの復活を約束されており、永遠の命に生かされると信じます、ということです。
 私たちは神からどれほど多く赦されているか、主イエスはたとえを通して語ってくださいました。
 “…ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。”(マタイ18:21~26)。1万タラントンとは、一生働いても返せないほどの巨額です。主君が家来を憐れんで1万タラントンの借金を帳消しにしたとは、神が私たち一人ひとりを憐れんで、罪を赦してくださったことを示しています。私たちが犯した罪は償うことができません。神に赦していただくほかないのです。
 本日は、コリントの信徒への手紙二第5章の言葉を読みました。これを書いた使徒パウロは、神がどんなに大きな罪を赦していただいたかを知った人です。「肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません」(16節)と語っていますが、「肉に従ってキリストを知っていた」とは、パウロが教会を迫害した過去が背景にあります。イエスをキリストと信じる前のパウロは、律法を守ることについては非の打ちどころがないほどの人でした。ですから、イエスの弟子たちが、十字架にかけられたイエスをキリストだと宣べ伝えていることを許せませんでした。木にかけられた者は呪われているからです。パウロは大祭司の許可を得て、イエスの弟子たちを牢に入れていました。
 そのパウロに、復活のイエスが出会ってくださったのです。パウロは教会を迫害したことは、神に逆らう罪であったと知り、悔い改めました。パウロは、自分が正しいと思って教会を迫害していましたが、それは神に背く大きな過ちでした。復活のイエスに出会い、信じたパウロは、イエスの十字架の死の意味を知りました。「罪と何のかかわりもない方〔イエス・キリスト〕を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができた…」(21節)。「神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく…」(19節)。神は、私たちが神に対して罪を償えないことをご存じなので、罪の責任をキリストに負わせて、私たちの罪を赦してくださるのです。そのようにキリストに罪を赦していただいた人は「だれでも、新しく創造された者なのです」(17節)。これは何度でも罪の赦しの恵みに帰っていく信仰者であることです。“わたしたちの主であり、師であるイエス・キリストが「悔い改めよ」と言われたとき、それは私たちの全生涯が日ごとの悔い改めであることをお求めになったのである”(マルティン・ルター)。