2026年2月15日(日) 降誕節第8主日
礼拝順序
黙 祷
招 詞 詩編124:8
賛 美 352
主の祈り
交読詩編 詩編42:2~7a
祈 祷
賛 美 343
使徒信条
聖 書 ヨハネによる福音書第15章26節~第16章15節
子ども説教
説 教 「真理の霊が来られる」
賛 美 419
感謝祈祷
頌 栄(讃美歌) 24
祝 祷 (コリント二13:13)
〔説教要旨〕
主イエスと弟子たちの夕食の席で、イエスが十字架におかかりになる前に、愛を込めて、弟子たちに別れの説教をしておられ、私たちもずっと、主イエスの言葉に耳を傾けています。
弟子たちの心を主イエスは見ぬいておられました。「わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている」(6節)。弟子たちは、イエスに「私について来なさい」と招かれて、家族も仕事も置いて、従ってきました。イエスの言葉や行い、力ある業をすぐそばで見てきました。イエスが、手や足の不自由な人を癒され、目の見えない人の目を見えるようにされ、さらには、死んだ人を生き返らせてくださったのも見ました。このような力ある業を見て、弟子たちは驚きながら、「この人が自分たちの師である。この方は神から来られた方だ。この方がいっしょなら大丈夫だ」と思っていたのではないでしょうか。弟子たちは、イエスからお叱りを受けることもありましたが、そのようなときにも、弟子たちはイエスの愛の心を感じていたのではないでしょうか。このように、弟子たちはイエスに従ってきたのに、イエスが自分たちから離れて行く、自分たちはついていくことができないと言われて、彼らの心が悲しみいっぱいになってしまったのは、やむを得ないのではないかと思います。
さらに、イエスがこのように語られたことも弟子たちを恐れさせたことでしょう。「人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る」(2節)。弟子たちへの迫害が予告されました。殉教者も出るというのです。これは、ヨハネ福音書を生み出した教会の当時の状況が反映していると思いますが、たいへん厳しいことです。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」(ヨハネ3:16~17)。
この御言葉に、神の思いが込められています。神は、世を裁くためではなく、世を救うために、神の独り子キリストを世に遣わしてくださいましたが、その世はイエスを十字架に追いやり、弟子たちを迫害する世でもあるのです。
「今わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが、あなたがたはだれも、『どこへ行くのか』と尋ねない」(5節)。イエスの言葉によって、弟子たちの心は悲しみでいっぱいになり、言葉を失ってしまいました。弟子たちは、死を越えることができない絶望に陥ったと言えるのではないでしょうか。
そのような弟子たちに、イエスは全く思いがけない、驚くべき言葉を語られます。「実を言うと〔直訳で「わたしは真理を語る」〕、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る」(7節)。死を越えられない悲しみに打ちひしがれた弟子たちに、真理の霊が来られるとイエスは約束してくださいました。もう一人の弁護者である聖霊がおいでになると、罪について、義について、裁きについて、世の誤りを明らかにしてくださいます。この世の支配者は断罪されます。聖霊は、真理の霊、つまり死に勝利したイエスの霊ですから、死を越えられるいのちの希望をもたらしてくださいます。この真理の霊を受け入れた人は、新しい言葉を語るようになります。「イエスは主である」と信仰を告白し、神をほめたたえる歌をうたうようになります。聖霊が来てくださっているから、私たちは今、礼拝できるのです。