まず日本の旅行会社ロンドン支店に問い合わせてみると、フェリーのことはわからないという。
それでロンドンの観光案内所にフェリーについて聞きにいった。
「フェリーで行きたいんだけど・・・」と言うと、係りのオネーチャンはけげんそうな顔をして、
時間がかかるからユーロスターで行けという。

なんでフェリーで行ったらあかんの?!こうなると、どうしてもフェリーで行きたくなってきた!
フェリーが出ていることは確かなので予約なしで行くことにした。フェリーは、人だけならまず乗せて
もらえないということはない。

当日、フェリーが出るラムズゲイト目指して郊外電車に乗った。
夏休み中だったから、この郊外電車はロンドン市民のレジャー客やヨーロッパ近隣諸国の観光客
でほぼ満席。みんなカードゲームをしたりおしゃべりをしたり、のどかな雰囲気だった。途中までは。
ところが途中から電車がよく止まる・・・、そしてとうとう動かなくなってしまった。

アナウンスが入るのだが、聞き取りにくくてよくわからない。それで、うしろの席の人に
「どうしてこの列車は、しばしば止まるの?(中学校英語的に)」と聞くと
「モーゲイトが閉まっているから」と言う。
「そうなの、ありがとう。」と言ってみたけど、モーゲイトって何??

夫は「ゲイトは橋やから、モーという橋が閉まっとるんや!」と断言する。ほんまかい〜!
だいたい、まわりもドイツ人など英語圏以外の人が多くて、みんなよく事情がわかっていないようで、
だんだん騒ぎになってきた。駅員さんは、みんなに取り囲まれてワイワイ言っている。
もう覚悟を決めて待っているしかない。

結局、列車は途中で止まったままで、代わりのバスが出て目的地まで行ってくれることになった。
どうやら先の列車が脱線したらしい。「モーゲイト」というのは橋のことではなくて駅名だった。
要するにモーゲイトという駅で列車が脱線して、駅が閉まっていたのね。なるほど〜。
でも、列車の脱線なんて年に何度もあるわけじゃないのに、どうして今日脱線するのよ〜!!

なんとかフェリーには乗れたけど、ブルージュに着いたのは当初の予定を大幅に遅れて、夕闇
迫るころになってしまった。(疲れた・・・)

でも、フェリーの旅は時間があればオススメである。ロンドンからラムズゲイトまでは
のどかな風景が楽しめるし、フェリーも新しくて綺麗で快適である。あなたが行かれるときは
多分、脱線はしないでしょうしね!

<イギリスの郊外電車は脱線?!>

2週間程度の日程で、イギリスとベルギー、
オランダを回った時の話。
イギリスから大陸に渡るルートを考えていたら、
イギリスのラムズゲイトというところからベルギーに
フェーリーが出ていることを発見した。フェリーで
ベルギーに入るとブルージュにも近い。
ブルージュは世界遺産にもなっている古都である。
で、すっかりフェリーで渡ろうという気になった。

フェリーでベルギーに渡る(97年)

旅といろいろエッセイ

<香港、チムサアチョイで財布すられる!>


97年の6月、わたしと夫は再び香港にいた。

97年7月、香港はイギリスから中国に返還される。夫は「返還前に絶対香港に行かなアカン!」
と主張した。雑誌でも返還前の香港特集がよく組まれていた頃である。

返還前に行かなアカンって言っても香港は行ったことがあるし、ホテルの値段も高騰している
から、わざわざ行く必要ないじゃないの!返還後の様子を見に行ったほうがいいんじゃない?!
わたしはあまり気が進まなかったのである。

でも結局、週末を利用して2泊3日で行くことにになってしまった。
気が進まないと言っても、海外では無条件にウキウキしてしまうわたしである。とくに香港は
食べ物が口に合うし、2千円程度で飲茶を腹一杯食べ海鮮料理も良かったし上機嫌だった。

返還前で治安が悪くなっているって聞いていたけど、昨日の晩遅くまでウロウロしていたのに
全然大丈夫だったし、財布すられたりする人はよっぽどボーッとしているのね〜きっと♪
なんて思っていたのでアル。

で、まっ昼間の九龍、チムサアチョイの交差点。
行ったことある人はお分かりだと思うけど、このあたりは大きなホテルが並び、少し南に行くと
由緒正しきペニンシュラホテルもある。とっても繁華なところである。

信号が青に変わったから、わたしと夫は交差点に入った。
そのときは、それほど周りに人はいなかった。
夫は早足にすぐ渡りきったが、わたしは足が痛かったこともあって遅れて歩いていた。
すると急に周りに人が増えて取り囲まれてしまった!

アララ、と思って一瞬立ち止まったとき、肩からかけていたバックが少し引っ張られた感じがした。
バックを見るとふたが開いていて、すでに財布が抜き取られた後だった!
わたしがすられたことに気がついたときは、すでに周りの人はいなくなっていた。

・第1話 イギリスの郊外列車は脱線?!


その後パニクッて、ホテルのフロントの人に
「さいふスラれたー!!」と叫んだもののむなしく、
最寄の警察署を教えてもらって、盗難証明書を発行して
もらうしかなかった。盗難証明書は、クレジットカードを
再発行してもらうとき必要だ。

幸い現金はあまりはいっていなかったし、カードは
日本に国際電話をして使用中止しにしてもらったから、
ほとんど被害はなかったのだけど・・・・。

やっぱり海外では、かばんは体の前でタスキがけしましょう!
という教訓のお話でした。

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<西オーストラリアのトイレに住むカエル>

その日も乾燥した青空と大地しかないところを走り続け、ある町に着いた。
そしてやっぱり、ロードハウスの裏庭でキャンプをすることになった。
わたしはちょっと落ち着いたところでトイレに入ったのだ。

すると水洗トイレの便器の水たまりの中に、ちょこんとカエルがいるのだ。
カエルちゃんの上で用を足すのは気が引けたので、もう一つの便器の方をのぞいてみた。

すると、ぬ、ぬぁ〜んと、もう一つの便器の中にもカエルがいるではないか!!
カエルのためにこちらの生理現象をがまんするわけにもいかないので、遠慮しながら用を
足させてもらった。水を流すと、激しい水流の中、カエルは必死に便器の内壁にへばりついて
流されまいと耐えている。

いったいこのカエルは、いつからこの便器の水溜りの中に住んでいるのだろうか?
まさか、親ガエルがここに産卵して、おたまじゃくしからカエルになったとは考えにくい。
多分雨季から乾季になったとき水を求めてトイレにたどりつき、ここに住み着いたのであろう。

でも、こんなところに住んでいたらパートナーも見つけれないだろう。
かわいそうに毎日孤独な生活を送っているんだな。
きっと乾季の間はココで耐え忍んで、雨季になったら自然の中に出て行くのだろう。


あのカエルの子孫も、今ごろ、トイレの中で乾季に耐えているのだろうか・・・?
夏の終わり真っ青な空を見ると、西オーストラリアのカエルに思いをはせるわたしである。

・第3話 西オーストラリアのトイレに住むカエル

西オーストラリアは実に何もないところであった。
特に、ポートへットランドから南、パース近郊まではな〜んにもない。
乾いた大地と空があるだけだった。少なくとも87年当時は。

87年のオーストラリア一周の旅では、経費節減のため、宿泊は半分近くキャンプ場で
テント生活をしていた。しかしキャンプ場といってもあなどってはいけない。
いわゆる「○○リゾート」というところにも必ずテントサイトがあり、そういうところは
シャワールームなども設備がよくてピカピカである。

リゾート施設内には、プールや売店・レストランがあり、もちろん利用
できる。地元のオーストラリア人は、キャンピングカーや車の後ろに
トレーラーをつけてやって来て、キャンプを楽しんでいる人が多かった。

が、ブルーム以南、そのような「○○リゾート」もなくなってきた。
地図上で町らしきところがあっても、ロードハウスがあるだけである。
ロードハウスとは、ガソリンスタンドとマーケットやレストランが
併設されているところで、裏庭のようなところに小さいキャンプ場が
あるのであった。

サンドファイアー・
ロードハウスの看板。
ここより北は320Km、
南は300Km何もないことが
書かれている。(87年)
西オーストラリアを走る。
南回帰線を越えて南下。(87年)

このページは不定期に随時更新しております。文章の無断転記を禁じます。

・第4話 ニューヨークで怒鳴る!(チップの話)

ニューヨーク行きはシカゴ乗り継ぎだった。
しかし、シカゴ到着はかなり遅れていた。わたしたちは広いシカゴ空港で乗り継ぎのゲートが
分からず、走り回ってやっと乗り継ぎ便に間に合ったのだった。
こんなギリギリで荷物の積み込みはちゃんと間に合ったのかなー、と不安が心の隅をよぎった。

案の定、ニューヨークの荷物受け渡し場所でベルトコンベアがいくら回っても、わたしたちの
荷物は出てこなかったのであった・・・。

係員に文句を言うと、荷物は航空会社がちゃんとホテルに届けてくれるということだった。
必要事項を書類に記入せよと言われたが、もちろん全部英語である。
わたしは係員のオジサンに、心の中で「オッサン、ちゃんと教えんかいッ!」とつぶやきつつ、
ニッコリ微笑んで「ここはどう書くのかしら〜?」と聞くのであった。

とにかく書類は夫がなんとか記入してくれて、わたしたちはホテルに向かった。
まあ、重い荷物無しで身軽に市内に行けたし、荷物はその日の夜にちゃんと届いたから、
それはそれでよかったのだけど。

次の朝出かけるとき、枕もとにチップを置こうと思うと小銭がなかった。
前日、荷物のことが気になって何か落ち着かなかったため、小銭を残しておくのを忘れたのだ。
あまり大きいお札を置くのも悔しいから、その日はチップを置かずに外出した。
なにせニューヨークは初めてだし、今日はエンパイヤ・ステートビルに登るんだ〜!

午後、歩き回って疲れたので一旦ホテルにもどると、すでにベット・メイキングや部屋の掃除は
終わっている感じなのにタオルがない!!枕のカバーも、なにか薄汚い・・・。

どうなってるの?!と思っていると、廊下で部屋係の人の気配がした。
廊下をのぞくと、やっぱり掃除係りの若い黒人女性がいた。
わたしが「部屋にタオルが無いのよ!」というと
「何言ってるの?!わたしは知らないわ。ルームサービスに言ってよ!」って感じのことを
早口で言うのである!

わたしはカッとして
「あなたが後で持ってくるの!わかった?!」と怒鳴ってバタンとドアを閉めてしまった。
するとまもなく、その黒人女性はおどおどした感じでタオルを届けてくれた。
その時わたしはまだカッとしたままだったので、不機嫌な顔で
タオルを受け取り、チップをあげずにドアを閉めてしまった。

<ニューヨークで怒鳴る!(チップの話)>

さすがにわたしも、後でちょっと気の毒だったかなーと
いう気がしてきた。それで次の日の朝は、チップを多めに
置いて外出したのだった。

すると・・・外出から帰ってくると部屋は掃除がいきとどいて
ピカピカ、タオルは2人部屋なのに3本かかっているし、
昨日は一個ずつしかなかった枕は豪華二段積みになって
いるではないの〜!!

わたしは、う〜ん!とうなってしまった。アメリカではチップが
必要と聞いていたが、こういうことなのか〜?!
それとも今回のことは極端な例なのかな??

それ以後、チップが必要といわれる国では、必ず枕もとに
幾ばくかのチップを置くようにしているのである・・・。

ブロードウェイと5番街が交差するところ
に建つフラットアイアンビル(98年)

・第2話 香港、チムサアチョイで財布すられる!



<そしてマカオの夜はふける>

最初マカオを訪れたのは91年だった。
マカオといえばカジノで有名だが、香港からフェリーで渡るとフェリーターミナルも小さく、
静かな港町という印象であった。近代的なビルも少なかった。

マカオ観光のメインといえば、セントポール大聖堂とセドナ広場だろうか。
メインストリートの店を見てまわっても、半日もあれば終わってしまう。
道行く人も香港に比べたら少なく、のんびりしているのであった。

わたしたちは「押」という看板がかかっている質屋さんをのぞいて、
時間をつぶした。町の中には質屋がたくさんある。カジノで擦った人
たちが時計や宝石を質に入れるのだろう。

夜、わたしたちもカジノに入ってみることにした。やっぱりマカオに来たからには
カジノを体験しなければ!

暗い夜道を歩いて、まず「海上カジノ」に入ってみた。船の中がカジノになっているのである。
「海上カジノの中」には・・・・別世界があった!
表は人通りも少ないのに、そこにはたくさんの男たちがひしめき合っていた!
マカオには、こんなに一杯人がいたんだ〜!!

わたしたちも手ごろにできるスロット・マシンをやってみた。最初けっこういい感じで勝っていたけど、
続けていたらすぐコインがなくなってしまった。まあ、そんなもんだわな・・・。

「バカラ」や「ブラック・ジャック」はルールがよくわからないし、見物するだけにした。
ゲームに参加している男たちはかなり熱くなっていて、頭をかかえてうなっている人もいる。
そういう人たちを見ているのは、けっこうおもしろかった。
日ごろがんばって稼いだ金を握り締めてマカオにやって来て、ギャンブルに夢をたくす・・・
マカオはそういう町なのだろう。

96年に再びマカオに来てみると、かなり変わっていて驚いた。
まず、近代的な高層ビルが増えている。中国本土返還を見越したホテルラッシュらしい。

「マカオ・グランプリ博物館」というのができたらしいので、そこを目指して歩いていくと
でっかい「ヤオハン」ができていた!前はなかったぞ!!海外でこういうのを見ると、やっぱり
日本の経済力を実感してしまうのである。クリスマスシーズンだったため、街にクリスマスの
飾りつけが派手にほどこされていて、全体的に華やいだ雰囲気だった。

夜、カジノを見て回ったりしていると、ストリート・ガールがたくさん立っていることに
気づいた。前回のときは、そういう女の人はほとんど見かけなかったのだ。

わたしがちょっと夫から離れていたら、夫はしっかりストリート・ガールに声をかけられていた。
けっこう若くてきれいな子だったから夫もまんざらではないようす。彼女はわたしに気が付くと、
すぐ「ソーリー」といって離れていったが。
夫の気持ちとしては、ちょっと残念だったかな??

ちなみに、わたしたちは海外旅行はいつも夫婦同伴なので、そういう楽しいことは一切ナシである。
夫は泊りがけの出張なんてない仕事だから「ちょっと出張」とウソついて、遊びに行くこともできんし。
わたしにしたって、近頃インドネシアなどで日本の若いオネーちゃんが派手に遊んでいると
いううわさも聞いているけど、そういうことは全くナシである。
うーん、ちょっと残念かな??

海外を旅行していると、時々ググッとくる男性のかたをお見かけすることもあるので
「夫がいなかったら誘っちゃうんだけど〜」なんて思うときもあるけど、思うだけです〜。
(誘うっていってもお食事ぐらいですよ・・・あたりまえやけど)

ところで、マカオも1999年12月に返還されたので、また一度行ってみなければと思っている。
ヤオハンはどうなったのか気になるし・・・。

セントポール大聖堂(96年)
マカオの街のクリスマス・イルミネーション(96年)

・第5話 そしてマカオの夜はふける 

・第6話 オンナが荒野を目指すとき(その1)

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・第7話 オンナが荒野を目指すとき(その2)

・第8話 ベルギーは踏んだり蹴ったり(前)

・第9話 ベルギーは踏んだり蹴ったり(後)

・第10話 また来ちゃったソウル

・第11話 猫はどこで死ぬのか

・第12話 旅に出る理由・・・ちょっと自己弁護 

・第13話 あまりの暑さに三歩あゆめず・・・ワシントンDCにて

・第14話 地球のどこかであなたに会いたい!

・第15話 航空チケットの謎・・・タスマニアにGO!GO!

・第16話 パリの公衆トイレ

・第17話 オーストラリア釣り紀行・・・バラマンディを求めて

・第18話 香港、マンゴープリン食べ歩記

・第19話 ケアンズのプールで沈む

・第20話 ルーブル美術館の入り口は・・・

・第21話 旅のファッション

・第22話 中国大陸列車の旅 その1 上海空港の熱いカップル

その2 北京の北京ダック

その3 少林寺でカンフー!

その6 夜行列車の眠れない夜

その5 城壁の上の絨毯屋

その4 餃子店でレッツ中国語!

その7 大同は北魏の都

その8 北京 王府井(わんふーちん)にて

・第23話 旅の宿

・第24話 デジカメは優れたコミュニケーション・ツール!

・第25話 ノロウイルスにご用心!

・第26話 いい湯だな♪ in カナダ

・第27話 旅の言葉

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九龍(97年)