山中湖と富士
2003・1・20


三保の松原
2003・1・27

「蝦夷富士(羊蹄山)」
友のスキー便りから頂いた。

いつかー油絵にとおもいつつ。
推敲・疑問^その2 2003・2・19
 
 詩人の賈島(かとう)が歩きながら考えていました。詩の一節を「僧は推す月下の門」にすべきか『僧は敲く月下の門」がいいか。「推す」にすべきか「敲く」にすべきか。「推敲」という表現もここからきているそうです。歩きながら考えていたため 通りかかった友人・韓愈(かんゆ)に手があたってしまいました。「推す」「敲く」がこの詩人の念頭から離れなかったため人にぶつかり、ぶつかったのが縁で 『僧は敲く月下の門」という有名な一節が定着したのです。蕪村の「おうおうと応えてたたく雪の門」は この詩がヒントになってつくられたらしい。 名作に会えるのも 何かのご縁です。縁は繋がるもの。おおいに 疑問をあたためて繋げていきましょう・・ポン!とはじける音が聞こえたらいいな。
泰道和尚・疑問^その1〜 2003・2・18

 疑問を疑問のままで放置しておくと 結局答えは 孵化しないままで終わってしまう。これは 卵を温めずに放置しておくと雛が かえらないのとよく似た理屈です。「疑問をあなたの体温で温めなさい」という。その体温とは何ぞや・・・。答えは その人が今日まで生きてきた「人生経験」です。・・と解く。本で読んだ知識、友人・知人と語り合ったコトでも、テレビで仕入れた知識,等々なんでもよいのです。すべての経験を動員して疑問という卵を孵化するための体温にすればよい。温め続けていれば 何かの縁で卵の殻がポンと割れて目からウロコが落ちるように 答えが見つかることもあるのでしょう。
日展 2003・2・9

 日本画 油絵 書 工芸美術を鑑賞してきました。親しみがあって国民の感心が高いのでしょうね。大勢の人で賑わっていました。 老若男女の「つどい」というところでしょうか・・・。

 油絵も お目当ての 奈良岡正夫 様の絵を見つけました。「親 仔」と題してありました。単色なのに やわらかい山羊の仕草が出せる技に感心します。ふわっとした真綿のような感触。

 平松 譲 様
の「犬吠埼」の力強い絵も印象に残りました。海の沖の方からも風の音がきこえてきそう。手慣れた筆裁きに圧倒されそう。

 書も読める範囲の字体で 全体像を掴みたいと思う。森嶋 様の立山をうたった力強い作に 惹かれました。書に秘められた心意気がとてもいいなと。

 日展の作品のHPが気が利いている。なにしろ新鮮です。油絵は 色のニュアンスが実物とかけ離れていたりしてガッカリすることもありますが 見てきた強みでしょうか わずかだけれど 少しずつ補いながらも映像での再現を楽しむ。 
Qメモランダム 2003・2・3

 今日は節分です。(母親の誕生日らしい・・「6日でしょ」というと、 ホントは今日なのよと・・フ〜ン 初めて聞いた話。)
 
 「鬼は外〜〜。福は内〜〜。ぱらっぱらっぱらっぱらっ 豆の音ー〜。鬼はこっそり逃げていくー。」と今年も鼻の穴を ふくらませてうたいました。落花生を撒きながら・・・・・。さらに 一本の寿司を南南東向いて かぶりつきながら。これでヨシ!厄払いがデキタ。

 なんとなく 思い出しました。こうやってうたいながら「Qのつぶやき」を始めて 気がつけば〜マル1年になるなりと。書く方も大変だったけど 読まれる側も本当に お疲れさまでした。
 「もうちょっと ましな文章を書きたまえ!」と常々 自分自身を叱咤激励をするのだけれど 一向に代わり映えがしません。
 
 久しぶりに 肩が凝りました。仕事のし過ぎかと反省もしました。ところが そうではありません。ウノゲームなるものに力が入りすぎて 肩が凝りました。でもゲームには懲りません。もっと力を抜いてやれば 勝利の女神が微笑むのかしらんー? 
「美しい日本の短歌」

 石川啄木・中原中也・立原道造の三人集の中から 以下のように好きな歌を上げてみた。啄木の盛岡中学校の後輩の宮澤賢治は、15歳頃、影響を受けて 啄木ばりの行分け短歌を書いたという。啄木の代表作は「春と修羅」でこの詩集の出版当時、中原中也がことのほか高く評価したことを知りました。そして中原中也の冠した文学賞を受けたのが、立原道造という。関係をたどって読んでいくと おもしろくて 興味が尽きないことです。
「山羊の歌より」 

 サーカス

幾時代かがありまして 茶色い戦争がありました

幾時代かがありまして 冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして 今夜此処での一と殷盛り(さかり) 
今夜此処での一と殷盛り(さかり)

サーカス小屋は高い梁 そこにひとつのブランコだ 見えるともないブランコだ

頭倒さ(さかさ)に手を垂れて 汚れ木綿の屋蓋(やね)のもと 
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯が 安価い(やすい)リボンと息を吐き

観客様は みな鰯 喉が鳴ります牡蛎殻(かきがら)と
 ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

屋外は真っ闇 闇の闇 夜はこうこうと更けまする 落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん                      
                                           中原中也
掘り出し物 2003・1・26

 先週の日曜日に始まって 今日で第2段。何かと申しますと・・ 田舎の本屋と離れの物置の大整理中なの。第三者が見たら〜まるでガラクタなのでしょうが・・・当人にとっては まさしく宝物なの。薄暗いーすきま風の入るー音のない場所。 でもーなぜか 寒さを感じないんです。しかし こういう状況では いまのところ 鼻歌も浮かんできやしない。

見つけものは何ですか?
 ひとつとせ〜〜こま各種・ヨレヨレの英単語の辞書(猛勉強の痕跡となるか・・イエイエ〜それは年月の風化のみと言ったのは誰?)ふたつとせ〜ウイスキーのボトル6本(今度おじゃまするときにアナタへ)みっつとせ〜お膳各種(パーティは正座でどう?)

 Q家には こんなものも有り・ 50年くらい前の状差しで、奈良観光のおみやげ品。埋め込みの木枠を取り出すと平面から立体になります。(凝ったしくみ) 大仏様を崇めた奈良公園での少女の頃へ しばし〜もどらんー。
「一握の砂より」     

 東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたわむる

 砂山の砂に腹這い 初恋の いたみを遠くおもいいづる日

 たわむれに母を背負いて そのあまり軽きに泣きて 三歩歩まず

 こころよき疲れなるかな 息もつかず 仕事をしたる後のこの疲れ     石川啄木
阿修羅像 2003・1・23

 顔が三つ、手が六本の不思議な形をしています。これは密教的な表現といわれます。 正面の向きと左右の向きで防衛範囲を表しています。 釈迦の説法を聞き惚れている内に、すっかり童心にかえって少年のような表情になったという興福寺の阿修羅像。説法を聞く喜びに満ちたその真摯な眼差しが 人を魅了してやまない。

 この20日に「横綱・貴之花」が引退を表明しました。いつか この日は来るだろうと想像はしていましたが ついにやってきました。日夜ー考え倦んだことでしょう。満身創痍というから・・。復活は到底無理だったのですね。 残念なこと・・・しきりです。 土俵の鬼は いつも厳しい表情で相手に立ちはだかっておりました。普段は 柔和な好青年ですのに・・・。その表情の変化の差に驚かされます。 横綱としての使命感、その重圧は いかばかりだったろうと・・。 

 いつしか 「興福寺の阿修羅像」に 「貴之花」を 重ね合わせていました。
暁と夕の詩より 眠りの誘い

 おやすみ やさしい顔した娘たち
 おやすみ やわらかな黒い髪を編んで
 おまえらの 枕もとに 胡桃色にともされた燭台のまわりには
 快活な何かが宿っている。(世界中はさらさらと粉の雪)

 私はいつまでもうたっていてあげよう
 私はくらい窓の外に そうして窓のうちに
 それから 眠りのうちに おまえらの夢のおくに
 それから くりかえしくりかえして うたっていてあげよう

 ともし火のように
 風のように 星のように
 私の声はひとふしにあちらこちらと・・・

 するとおまえらは 林檎の白い花が咲き
 ちいさい緑の実を結び それが快い速さで赤く熟れるのを
 短い間に眠りながら 見たりするであろう                  立原道造集より
犬山城 2003・1・13

 成田山から遠望する
その視野の中に目に入ったのはお城でした。木曽川の流れを向こうにして一際高い山にそびえる犬山城(白帝城)があります。日本最古の城といいますねー。お城のある風景が好きです。(息子からの影響が大きいかも知れないですが・・・。)ある時は ドライブで「車中から ほら見っつけた!」というのも誇らしげでいいですね。

 
天文6年(1537年)に現在の天守が建てられ、織田信長の叔父に当たる織田信康が入城。秀吉も一瞬だけ入城。その後、めまぐるしく城主がかわり、元和4年(1618年)成瀬正成が城主となり、以後成瀬家の子孫が入城。日本で唯一の個人の所有のお城なのであります。
 
初釜 2003・1・5

 新春の静かな一時を有楽苑の初釜で過ごしました。重要文化財「旧正伝院書院」での薄茶と、名鉄犬山ホテルでのおせちとお屠蘇の接待を受けてきました。年の初めを茶の湯で寿ぐのも乙なものです。

  織田信長の弟である織田有楽は隠居の際、建仁寺塔頭正伝院を再興し、元和四年(1618)に客殿・庫裡・書院とともに建てられた茶室。書院と如庵(じょあん)、露地は、東京の三井家に移り、のちに大磯の同家別邸に移築された。昭和47年に犬山に移され現在に至っている。

 成田山に詣でる。(千葉県成田市/大本山成田山新勝寺の別院で、正式には大本山成田山名古屋別院大聖寺といいます。 ご本尊は不動明王であります。)そもそも新年を迎えるということは、その年の歳神さまより新たに魂を授かるという意味があります。、新たな自分を認識して神仏のご加護を実感して感謝することなんだそう。お願いもしてきました。聞きとどけられますように・・。

憧れの地の久能山そして三保の松原へ 2003・1・1

 片道200キロ、大した渋滞もなく 到着しました。(途中浜名湖で休息)
久能山
長い階段がくねって頂上へと続いていました。鳥居の直前で見上げてお参りしてきました。日本平から ロープウエイで登れます。また 近い内に機会を見つけて行きたいです。

三保の松原へ
 海岸には松の防風林が連なり、青い海、白い砂、緑の松林そして背景には富士の高嶺が聳えるという景勝地であリます。今日の富士山は 頂上が雲におおわれて見えませんでした。

松林には羽衣伝説の衣掛の松がありました。
樹齢650年を数える見事な松です 天女の天上の舞はさぞ綺麗だったことでしょうね。

寒くて 冷たい風に帽子が飛んでいきそうでしたが、白砂の重い感触を楽しみながら いつまでもずっと海を眺めていました。清々しい気分になりました。