2003・春の頃
                     

      2003・3・9 rose  10号
BGM
「白ばらの匂う
      夕べは」

2・4 

バラの大苗を植えつけました。

2・23 

たっぷりと水をやりましたら画像のように 新芽が1〜2cm程出ました。萌葱色が眼にしみます。

鉢植えのバラは休眠期に入った冬に植え替えをするとよい。2鉢。(ピ−トモス、鹿沼土、砂、水苔、.赤土等の混合)
菱田春草展 2003・4・29

 ちゃーちゃんと二人で 立派な作品の数々に 感嘆これ久しゅうする・・・。
狩野派・橋本雅邦の指導を受けたこと、岡倉天心、朋友の横山大観との交流の深さも知りました。。線を用いた日本画の伝統的な絵画から 脱却を試みて 「朦朧体(もうろうたい)」と呼ばれるー線を用いない「空刷毛」によって色面をぼかしていく手法を試みたそうです。このことで遠近感や空間の広がりや光の描写を現す事ができると考えたのです。新しい改革により作品が次々とできあがったことは枚挙にいとまがありません。墨の濃淡で描き表わしたり(水墨画)や巧みな色彩表現など。 それらの作品が一堂に会してあって それは〜それは 実に味わい深いものでした。「山雀」「落ち葉」「黒き猫」など
庭つくり 2003・4・28
 南方に △型の花壇。北に□型の野菜畑を設けました。そこへどっさり土を入れて 腐葉土も混ぜました。 袖垣も 新調しました。「もっこく」と 「らかんまき」も植え替えて 剪定をしました。 形を作りながら シュロのひもでゆわえて結びました。花や木達と「ああでもない。こうでもない」とおしゃべりをしながら 戯れている。 すこ〜し いじっただけなのに もうー違う顔をみせ始めているの・・。 ○型の花壇もぼつぼつ造ろうかな・・。 
長谷詣で 2003・4・27

 当山は 山号を「豊山(ぶざん)」寺号を「長谷寺」といいます。「こもりくの泊瀬山」と万葉集にも歌われいます。西国三十三所観音霊場弟8番札所。四季を通じ「花の寺」として多くの人々の信仰を集めていますが、折しも「ぼたん祭り」の真っ最中でした。
 399段の回廊式の登廊を渡ります。頭上の灯籠も気品があって長谷寺らしいです。周辺は新緑に映える鮮やかな「ぼたん」が顔出しています。(きょろきょろ〜〜と)

 十一面観世音菩薩像は金色に輝いて御身10m余。楠の霊木で造られていて我が国最大の木造仏だそうです。
 境内から眺める景色は絶景なるかな〜〜。
懐かしの写真 2003・4・23

 陸氏から 手紙が届きました。「いとこ会」の案内かなと思って 中を開いてみると「セピア色の写真が一枚」入っていました。おばさんの一周忌の法要の折に 節美さんが 私に見せたいと言ってた写真。生まれて間もない私を抱いている母と 年端も行かぬ子供達が10人近く写っています。焼き増しをしてくれたのね・・・。
 
 同封の手紙には 「年間 60〜70日の山行きを目指しています。こんなー勝手気ままな生活、これもひとえに 今のところ健康である事を 先祖に感謝しています。伯父さん、伯母さん お体を大切に・・。また山へ行きましょう。それから 一度知多へ出掛けて下さい」と結んでありました。
 写真のいとこたち・・・面影あり。 かわいい膝小僧・・足元はみんな下駄履き。
 半世紀も前のことで 別の空間をかいま見た感じがいたしました。宝物がまた一つ増えました。
諏訪商店街・チューリップ摘み 2003・4・13

 「5万本のチューリップが見事な花を咲かせました。お花畑の集い」のお知らせ。
 もう〜スキップしたいような嬉しい気持ちで駆け付けました。歌も たこ焼きの匂いも上の空。 
 ラク隊長殿へ 
この見事な愛らしい花は最高のものでした。また 花を摘む楽しさは たとえようもないほど嬉しいものでした。ありがとうございました。
 1000人もー大勢の人が集まったそうです。予想外のことでした。レボレボちゃんもビックリ!その後 ユリの球根やインパチェンス等を植えてきました。汗だくになって 植栽に力を注いでくださる方達 ほんとうに お疲れさまでした。(ゴスペル〜チューリップ〜ゆり・ひまわり〜〜〜〜) 
地球村 2003・4・5

 いとこのTちゃんの勧めで 地球環境についての平和講演会「平和な世界を子供たちに」に参加しました。傾聴するに値する〜いいお話でした。:講師 「高木 善之氏」でした。知っておられますか
 休憩無しの 3時間に渡る講演を熱心に聞き入っていました。

講師プロフィールは・・・
 ネットワーク「地球村」代表であります。地球村とは 国連などが提唱している「地球と調和する社会」(Earth Village)のことです。ネットワーク「地球村」は環境と平和のNPO(非営利市民団体)として1991年に設立されました。事実を伝え、考え、行動をするNPOです。
 内容はこちら・・・http://www.chikyumura.org/

私にできることは 身近な問題としてーゴミ問題、(ゴミの削減です。)ダイオキシン汚染(プラスチックなど過剰包装を断ろう)

地球環境問題としてー地球温暖化について・マイカーの使用を減らす。節電(リモコン家電は主電源でon/offをします。節水を心がけます。まずはー自分が実践することだとおもいます。心して務めようとおもいます。大切な命のため・・・。
チェーホフ 「かもめ」 より 2003・4・1

 生き物の体は塵と消え失せ、永遠の物質が、それらを石に、水に、雲に変えたが、その生き物のすべての魂は、一つに溶け合った。世界全体の魂ーそれは、私、・・・・、この私だ・・・。アレキサンダー大王の魂も、シーザーの魂も、シェイクスピアの魂も、ナポレオンの魂も、そして取るに足らないミミズの魂もみな私の中にある。そして私の中で、人間の意識と動物の本能が合体する。私はすべてを、すべてを、すべてを覚えている。そして私自身の中でそれぞれの命がよみがえってくる・・・。
1日の終わりに 2003・3・31

 雨にも負けず 「宮沢賢治(1896-1933)」をうたう・・ という。その人は澄みきった声で 一言一言をかみしめるように・・・・朗読した。美しい心になれるという。


雨にも負けず 風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けず
丈夫な身体を持ち
欲はなく決して瞋
(いか)らず
いつも静かに笑っている


一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずに
よく見聞
(みき)きし分かり そして忘れず
野原の松の林の蔭
(かげ)
小さな萱葺
(かやぶき)きの小屋にいて


東に病気の子供あれば
行って看病
(かんびょう)してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行って怖
(こわ)がらなくてもいいと言い
北に喧嘩
(けんか)や訴訟(そしょう)があれば
つまらないからやめろと言い


日照りのときは涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
皆にデクノボーと呼ばれ
ほめられもせず 苦にもされず
そういうものに 私はなりたい
大工道具よみがえりの巻き 2003・3・27

 物置に眠っていた  電動のこぎり・マルノコを引っ張り出してきました。私には ちょっと・・むつかしいかなと思ったけど使わないのも 「もったいない」ということで・・・。

 大工さんにお願いして 据え付け台のセッティグ方法、スイッチの入れ方 切り方、手の位置、線を引いた上を1ミリも違えずに切る方法等を 教わりました。それはーそれは〜〜木目の細かいノウハウでした。じわっと 頭と身体にしみこみました。

まず ノコギリ歯を「チップ付き」に変えねば、この状態だと 危ないのだそうです。

1、棚用の板をひきました。
2,30号の絵を飾るイーゼル用にと・・長い木を縦に切って2本にしました。

木は切ったものの どうやって組み立てるですかと質問すると ビスで止めるのですと。手伝って貰って 寄せ集めの木でイーゼルが出来上がりました。

次の課題は カンナを「といでこなくては・・・。」
残心 2003・3・26

 残心とは 弓の道で 矢の離れたあとの姿勢をいう。離れによって射は完成されたのではない。なお残されたものがあります。精神でいえば「残心」、形でいえば「残身」です。剣の道でも 同じ。 お茶の道でも 道具を置くとき、手を離す瞬間に残す心があります。

 日常普段の何気ない挨拶の中にも 残心があれば お相手の誠意や緊張が伝わって お互いの心を豊かにしあうことも出来ましょう。 

パソコンしたい〜 2003・3・16
 
 所用で主人の実家へ行きました。うれしいことに R君がママと遊びに来ていました。パソコンのゲームが大好きなR君だと聞きました。マウスを巧みに操って スタートから画面が出た。自由自在にPCを展開させていきます。トランプゲームやサイコロ付きゲームをする。ヤフーの場面も出す。ツールを 次々とクリックして内蔵のデーターを取り出す。早いこと。
 
 大人たちがおしゃべりしている間 ちっちゃな彼は ずっとーPC操作を楽しんでました。そろそろ 終わらせよう。でも聞き入れそうにないと思ったママが 奥の手で「お猿が出てくるよー(画面から)」というとワァ〜ンと泣き出して イスから飛び降りてきました。
 
 ストロー付きのヨーグルトをもらって ちゅちゅと吸って機嫌良くなったR君。見よう見まねで覚えたPC。チャレンジ精神・感覚で理解していくのだという驚くべき光景を目の当たりにしました。  ちなみに R君は 2歳6ヶ月。


rose 6号


桃の節句を祝う
 世阿弥「花鏡」 2003・3・9

 三岐鉄道の「旧・大井田の駅」・今は「大安駅」となっている。駅のある図書館。時間が出来るとふらっと寄ってみる。今日も 母を親戚へ連れて行った際に すこうし時間が 空いたので中を覗いてみました。読みたい本が幾冊かみつかって どれにしようかと 迷うが・・。こういう時間もまたー楽しい。
 「声に出して読みたい日本語2」を パラパラとめくってみました。
 
 是非の初心を忘れず
 (若いときの 失敗した初心を忘れないなら 能は上達する。)
 時々の初心を忘れず (初心から年の盛り、そして老後に至るまで その時分 時分において
               初めて習う事柄は初体験 、いわばその時期における初心)
 老後の初心を忘れず (老人の風体にふさわしいことを習うというのはこれまた初体験。
               老人になっても初体験はある。)

 「素朴さ」を 何も訓練しない状態とすれば  「初心」は一つの技、新鮮な気持ちで戻り続けるのはメンタル・コントロールの技術とある。

 日を同じくして 朝刊を拝読してたら〜「人生のページ」の冒頭にも 川口高風氏が上記の「3つの初心」を掲載しておられた。 世阿弥の初心・・。天の声かも
[じゅげむ」
「寿限無(じゅげむ)寿限無、五劫(ごこう)のすりきれ、海砂利水魚(かいじゃりすいぎょ)の水行末(すいぎょうまつ)、雲来末(うんらいまつ)、風来末(ふうらいまつ)、食う寝るところに住むところ、やぶらこ うじのぶらこうじ、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命(ちょうきゅうめい)の長助」

声に出して読みたい日本語に出ていた。ちょっと〜むかしのこと 父がお風呂に入って唱えていたのを覚えてる。ベストセラーの本から見つけて なつかしい思いで 「pzlの掲示板に」書き込んだことがあります。今思うとすこし はずかしい。

 
〜寿限無の名前の由来〜 byカンガーHPより

「寿限無」は「寿限り無し、つまり死ぬ時がないということ」
「五劫のすりきれ」は「一劫というのは、三千年に一度、天人が天下って、下界の巌を衣でなでるのだが、その巌をなでつくしてすりきれてなくなってしまうのを一劫という。それが五劫というから、何万年、何億年かかぞえつくせない」
「海砂利水魚」は「海の砂利も、水にすむ魚もとりつくすことが出来ない」
「水行末、雲来末、風来末」は「水の行く末、雲の行く末、風の行く末、いずれも果てしがない」
「食う寝るところに住むところ」は「人間、衣食住のうち、1つがかけても生きてはいけない」
「やぶらこうじのぶらこうじ」は「やぶこうじという木があって、まことに丈夫で、春は若葉を生じ、夏は花咲き、秋は実を結び、冬は赤き色をそえて霜をしのぐめでたい木」
「パイポパイポ〜」は「昔、唐土にパイポという国があって、シューリンガンという王様とグーリンダイという王后のあいだに生まれたのが、ポンポコピーとポンポコナーというふたりのお姫様で、このふたりが大変長生きをした」
長久命の長助」は「天長地久という文字で読んでも書いてもめでたい結構な字で、それをとって長久命。長く助けるという意味で長助もいい」
 早春賦 2003・3・3
 
員弁・両ヶ池から藤原ヶ岳
を望む(私の原風景)

セルリアンブルーの池の面
全体が踊ってる〜。
小気味がいい。

「春一番見ーつけた!」

 
さあ
 一緒に歌ってみましょうよ〜〜

春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず


氷解け去り(とけさり)
葦(あし)は角ぐむ(つのぐむ)
さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空
今日もきのうも 雪の空


春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる(せかるる) 胸の思(おもい)を
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か
画家・安井曾太郎 氏 2002・2・23

安井曾太郎 氏のroseに惹かれる。デッサンが非常に重要という。「対象を写し、それによって絵を作るようにしている。」という。写すのを第一段階とすれば 忠実さから離れて絵画としての表現に至るのを第二段階とする。この段階では「線と色彩と明暗との確固とした構成の中に対象物を最も清新に表現することである。」

 「自分はあるものを、あるがままに現したい。迫真的なものを描きたい。本当の自然そのものをキャンバスにはりつけたい。樹を描くとしたら、風が吹けば木の葉の音のする木を描きたいし、歩くことの出来る道路を描きたい。自動車の通っている道をかくのだったら、自動車の通る道を描きたい。人の住むことの出来る家、さわれば冷たい水、湖水の深さまで現したい。人ならば、話し、動き、生活する人を描きたい。その人の性格、場合によっては職業までも十分に現したい。」
(曾太郎集)

 対象から受け取った実感そのものを絵にすることはむつかしい。むしろ出来ない。ここでは 画家が見たものを鑑賞者が見え得るようなものとして画面を形成していく。鑑賞者は 画面を通して 「画家の眼」を共有し追体験することになる。

 次回は もっと奔放で豊潤な作風の梅原龍三郎氏を見てみたい。木綿と絹とたとえられたふたりの画家